からたちの花
「からたちの花」(からたちのはな)は、北原白秋作詞、山田耕筰作曲による日本の童謡である。赤い鳥運動を代表する楽曲となり、のちに文部省唱歌にも採用された。2007年には日本の歌百選に選出されている。また、北原白秋の少年期から青年期を描いた映画やテレビドラマの題名にも用いられた。ただし、詞の原案は山田耕筰の少年期のエピソードによるものである[1]。 解説3拍子と2拍子がめまぐるしく入れ替わり[2]、子どもが歌うには声域的にも技術的にも難度が高い[3]。 テンポについては、戦前に出版された楽譜に記載された「4分音符=56」が普及していたが、その後の研究で、1950年発行の日本放送出版協会の楽譜に作曲者の意向が反映されていることがわかり、そこに記載された「ゆるくしずかに やや自由に(8分音符=72~92)」が、作曲者のイメージしたものであるとされる[4]。 鈴木三重吉による赤い鳥運動に参加した山田耕筰と北原白秋は、1922年に雑誌『詩と音楽』を創刊するなど深い親交があり、多くの歌曲を共作している。そのような関係の中から、詞のみ1924年に「赤い鳥」で発表、メロディは1925年に「女性」で発表された。 1925年にソプラノ歌手・荻野綾子(1898年 - 1944年)の[5][6]、1926年に藤原義江の[7]歌唱によるレコードが発売されている。 耕筰は幼い頃養子に出され、活版工場で勤労しながら夜学で学んだ。耕筰は自伝において、工場でつらい目に遭うと、からたちの垣根まで逃げ出して泣いたと述懐している。この歌は耕筰のこの思い出を白秋が詞にしたものである[1]。 歌詞からたちの花が咲いたよ。 歌碑
エピソード
からたちの花 (映画)
長谷健原作、脚本:八住利雄、監督:佐伯清主演:北原隆、音楽:古関裕而[11]。1954年10月26日に日活系で公開。北原白秋の若い頃、柳川時代を描いた作品。この映画で柳川は観光地として有名になった[13]。 スタッフ以下のスタッフ名は特に記載がない限りKINENOTEに従った[12]。
キャスト以下の出演者名と役名はKINENOTEに従った。
からたちの花 (テレビドラマ)1958年4月8日から同年5月20日まで、日本テレビの『山一名作劇場』で放送。全7回。 出演者スタッフ
脚注
参考文献
外部リンク
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