しあわせの宮
しあわせの宮(しあわせのみや)は、三重県多気郡多気町にある神社。 祭神![]() 主祭神は地母神。境内の案内板には「大地母神 しあわせ大神」(引用)とある[2]。神体は付近のマイラ遺跡で出土した縄文時代中期の石棒。長さ29センチメートル、幅14センチメートルという、大きくずんぐりとした格好の有頭石棒である。軟質の石を素材とし、頭部・基部それぞれに2か所の小さな穴を設け、表面は研磨されている[3]。石棒は男根(陰茎)を象ったものとされ、「マイラ」という遺跡名(地名)も男根を意味する「マラ」に由来するという[4]。 このほか舞踊殿前に天のうづ女命、猿田彦命、天の手力男命、西に天照大神、大己貴命、少名彦命、倭姫命などを祀る。長寿、金運、出世、縁結びという4つ合わせの霊験ありと謳う[2]。 歴史1962年(昭和37年)12月1日、地元の農家が遺物を発見。これを神体として、翌1963年(昭和38年)4月1日に創祀した[2]。社名は往時の流行歌『しあわせの歌』から僧の小林慈海が命名した。たとえ無神論者であっても、広く人々をお守りするようにとの願いが込められている[5]。 当社が鎮座する多気町外城田地区では、昭和10年代から外城田郷土会によって幅広く考古学調査が行われている[6]。神体とする石棒が出土したマイラ遺跡は、JR参宮線・外城田駅から北西に400メートルほど離れた丘の西側斜面にあり、この石棒のほかに遺物が発見されなかったことから、かつての石棒祭祀場であったと推定されている[3]。 石棒の噂が広まると参拝客が多く訪れるようになり[7]、祈願していた外城田駅設置が決定すると、地元では大願成就を記念して新しい神社を建立する機運が高まった[8]。石棒出土地のマイラ遺跡は急な地形で高齢者には参拝が困難であったことから、少し離れた現在の場所を鎮座地とした。半球状で「ちぶさ山」と呼ばれていた場所である[9]。1963年4月1日、外城田駅開駅祝賀会の後に続いて、しあわせの宮鎮座祭が開催された。宮司による祝詞の後、紙吹雪が舞うなか餅まきをして盛大に祝った[10]。ちなみに、この鎮座祭(大人数による集会)を開催する旨を事前に届出ていなかったこと、チラシをヘリコプターで上空からばら撒いたことを警察が問題視し、宮司に対し厳重注意をした[11]。 境内社叢はJR参宮線沿いにあり、東西に参道(階段)が設けられている。奥に本殿が鎮座し、手前に舞踊殿、隣に社務所が建つ。多数の石碑や像が建立されているほか、ミニ図書館、しあわせの塔、ハッピーランド子供遊園地といった施設がある[2]。
祭事・年中行事4月第1日曜日が春の大祭、11月3日(文化の日)が秋の大祭である[2]。 交通アクセス![]() しあわせの宮に関連する人物宮司協力者
芸能界芸能神社として神徳を高めるため、芸能人への勧誘を行った[17]。 ![]() ![]()
ちなみに、歌手・三沢あけみのように勧誘に失敗した例もある[22]。 脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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