にっぽん丸
にっぽん丸(にっぽんまる)は、商船三井クルーズが運航する外航クルーズ客船。内閣府が実施する青年国際交流事業「世界青年の船」と「東南アジア青年の船」でも使用されている[1]。 にっぽん丸(初代)
にっぽん丸(2代目)
船内設備
にっぽん丸(3代目・現にっぽん丸)
2代目にっぽん丸に代わる客船として、1990年に三菱重工業神戸造船所で建造された[7]。1990年3月に三菱重工業神戸造船所で進水式が執り行われ、紀宮清子内親王による「にっぽん丸」命名と支綱切断が行われ[7]、1990年9月27日に竣工した。その後新造船2隻の建造計画や[15]、「シーボーン・ソジャーン」の買船に伴い2026年5月10日での引退を予定する[11]。 設計1989年に就航した多目的客船「ふじ丸」を元にクルーズ要素により力点を置き個人レジャークルーズにも対応できる仕様として、航海速力20ノットから12-13ノットの低速域まで経済的運航を考慮したものとした。公室はふじ丸が乗り込み口レベルに水平配置する下方水平配置だったものを本船は船尾よりの上下配置となるハイブリッド式を採用した。外観はオーソドックスさを基調にスピード感あふれる軽快さに力点が置かれている[10]。 船内設備(2022年改装後)
改装
撮影
テンダーボート![]() にっぽん丸に付属した初代のテンダーボートは、かつて独自の名前がつけられていた。右舷側が「あさなぎ」、左舷側が「ゆうなぎ」である。このテンダーボートは日本のクルーズ客船では珍しく、救命艇機能を有さないものであり、そのために漁船に近いフォルムであった。 大改装の際、上級客室へのベランダ設置のため、救命艇を大型化して数を減らすこととなり、この際両側各一艇がテンダーボートの役割を兼ねるため、両船ともにっぽん丸のテンダーボートとしての任務を離れた。救命艇はこの際廃船となったが、「あさなぎ」「ゆうなぎ」は売却されることとなった。 その後、「あさなぎ」は関東周辺を中心に沿海遊覧船事業を営む「ベルクルーズ」に買い取られた。同船は遊覧船「ゆ〜みんアルファ2」に改装されて熱海での遊覧船事業に使用された。その後後継船「ゆ〜みんジャック」の登場により大洗に移籍し、遊覧船「ゆ〜みんパイレーツ」として引き続き使用されている。一方の「ゆうなぎ」は築地川に留置されている。 事故・アクシデント
2018年12月30日現地時間21時13分27秒ごろ、「ニューイヤー グアム・サイパンクルーズ」催行中のにっぽん丸は、グアム島アプラ港出港に際し港口に向けて左回頭中、離岸した岸壁の対岸にある米海軍の係船施設に船尾を衝突させた[20]。この事故での死傷者は無し、船は右舷及び左舷船尾の外板に破口、桟橋のドルフィン (係留施設)を破損した[20][21]。 ニューイヤークルーズは中止[22]、乗客419名[20]のうち病気・付添の2名を除く全員が2019年1月3日までに空路で帰国した[20]。米海軍のデルタ桟橋修繕には300万ドルが必要と見積もられた[23]。 事故時、船長は左舷ウイングにて前・後進及び船尾を左右に振る動きを制御するジョイスティックを操作していた。このとき、右舷側一杯に倒すべきジョイスティックを誤って船尾側一杯に倒し、船が後進したことが操船上の事故原因である[20]。 先にウイングに出た水先人が船長が普段立つ場所にいたため船長はいつもとは異なる立ち位置で操船を行った。 ウイングにいる水先人と操船補佐の航海士、および船尾配置の航海士から、船が後進して対岸に近づいているとの情報や再三の前進操作の進言があるなか、船長は自分の手元や舵角・可変ピッチプロペラの翼角等を示す船外表示器を見ず、誤った操作を続けた。 衝突25秒前には航海士が介入して船首側一杯にジョイスティックを倒したが、船長は無言で船尾側一杯にジョイスティックを戻した。 事故後の再発防止策として、方向の錯誤防止のため、ジョイスティックスタンド上の方向表示や、操船者の立ち位置の床面表示などが実施された。 また事故後に米国沿岸警備隊が船長のアルコール検査を行ったところ呼気換算で日本の基準を超える濃度を検出し、船長は「気持ちを落ち着かせるために事故後に飲酒した」と証言している[24]。事故前は、離岸3時間前の18時頃まで飲酒していた。これは当直開始4時間前以降の飲酒を禁ずる社内規定に違反する。量はアルコール度数9%のウイスキーソーダ350mlを1缶と度数6%ウイスキーソーダ350ml缶約半分。船長に酒気を感じたとの乗組員証言はなかったが、水先人は事故発生後にアルコールのにおいに気付いている[20]。運輸安全委員会は操船開始時点で体内のアルコールが代謝されていたかは判定困難と結論した。 事故後本船は2019年1月14日に日本に戻り三菱重工業本牧工場にて修理後、1月28日の内閣府「世界青年の船」チャータークルーズから運航を再開した。 関連項目
脚注
2026[1] 外部リンク |
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