のうか不動産
株式会社のうか不動産(のうかふどうさん)は、石川県金沢市に本拠を置く不動産会社。トレードマークは緑のエンドウマメ。学生向け住居の賃貸・管理を主力とし、学生を支援するユニークな経営方針が知られる。特に金沢大学と強いつながりがある [2]。 概要1978年に金沢市石引で創業。2007年に株式会社化。2009年に苗加充彦が2代目社長に就任し本拠地を現在地に移転。「マメ」を前面に打ち出すブランディングとともに独自色の強い事業を推進し、就任後の売上げを約2倍、管理戸数を3倍に伸長させる。通常、不動産賃貸業の多くが契約が済めば入居者と接する機会はほぼないのが通例だが、インターネット仲介サービスが拡大し、大手フランチャイズ系店舗などの進出の中、同社は『マメな不動産屋』を名乗るとともにロゴデザインも豆とし、商圏を広げずに車で15分以内の物件に限定。契約後のアフターケアを充実させるほか、主なターゲットを学生とするなどの手法をとっている。学生の多い金沢東部地区での同社の物件シェア率は50%を超え、賃貸事業での入居者の8割以上を学生が占めている。特に金沢大学での一人暮らしの学生の約7割は同社の管理物件を利用、入居率を92-96%で推移させている。この高い入居率は、同社が打ち出した入居者専用のバスやカフェを始めとする種々のサービスが主因とされる。2020年には、新型コロナウィルス感染拡大による社会人の転勤需要減少を見据え、金沢工業大学のメインキャンパスがある野々市市にまで営業エリアを広げるとともにオートロックや防犯カメラに加え、管理人のいる「食事付きの学生マンション」の提供を始めた[2][3][4]。 2018年には船井財団グレートカンパニーアワード 2018顧客感動賞受賞[5]。 独自路線以下サービスは年間2000万円のコストを要し単体では赤字ながら、同社では販売促進費として位置づけ、それ以上の口コミ効果として業績に反映していると分析している。2018年からは、学生向けのイベントを催す「おうか場」という取り組みを開始。学生合コンなどのイベントを同社社員が司会を務めたり、学生らのコミュニティ作りにまで参画するなど「学生を支援する不動産会社」という立ち位置を鮮明にして他社との差別化を図った。マメバスの運行を始めた2011年から8年後には売上げを89%増加させ、1,600万円だった営業利益を4倍強の7,700万円とするなど効果を上げた[6][3]。近年増加傾向にある外国人客フォローのため中国人スタッフ3名とマレーシア人1名が在籍する[4]。 入居者専用バス![]() 2011年12月より開始された入居者専用バスである「マメバス」は金沢大学と学生の居住地を結ぶシャトルバスで同社が運営。運行のきっかけはある雪の日、大学行きの路線バスが定員オーバーで多数の学生がバス停に取り残されるのを現社長・苗加充彦が目撃したことがきっかけとなっている。2020年現在、2台で3ルート、朝夕計16便が運行される。年間1200万円ほどのコストがかかるが、金沢大学は県外出身の学生が多く、学生によるSNS発信による広告宣伝効果があると同社では考えている。また、それまで民間バスの路線がなかったルートであったため「マメバス」の運行後は近隣物件の人気が急上昇し、他社に管理を任せていた賃貸物件オーナーの乗り換えが促進された。2017年からは、金沢大学側からの依頼で、日中の空き時間に角間キャンパスと宝町・鶴間キャンパス間を結ぶ手段としてのシャトルバスを運行。入居者以外の学生や職員も利用する学内シャトルバスの役割も果たしている[7][2][6][3]。 入居者専用カフェ2017年、管理物件の1階に入居者専用の「カフェ・ビーンズ」 をオープン。学生が朝食を食べる習慣がないことを心配する保護者の声を聞いたことがきっかけで出店。入居者でマメックスメンバーズクラブ会員はトーストとドリンクのモーニングセットを170円で利用できるほか、入居者を紹介することで様々な特典が受けられる仕組みを考案。店内にはWi-Fiや電源を完備、勉強の場やイベント会場として活用されている。2019年には2号店も金沢市石引にオープンした[2][8][3]。 大学内専用カウンター2017年、金沢大学と業務提携。同大学内に専用カウンターを設け、学生入所者の入居トラブルを解決するための窓口を設置[3]。国立大学内に不動産会社が店舗を構えるのは全国的に類例がない[4]。また同大学からの委託で、留学生の住む学生寮「学生留学生宿舎北溟」「国際交流会館」の管理を行っている[3][9]。 エピソード当初は「苗加不動産」の看板を掲げていたが、「なえか不動産」と読み間違えられることが多く、現社長苗加充彦が新たなブランドを一気に認識させたいとデザイン会社と協調し、派出所の横の自社物件に「『苗加』を『なえか』と読んだ人、逮捕します」という看板を設置。物議を醸したが、その後も同じエリアに50近くの同看板を増設。SNS上で拡散し、ブランディングを成功させた。その際には経営に一切口を出さなかった先代が猛反対し1年近くも元に戻せと言い続けたが、その後、ブランディングに成功した不動産会社の実例として、県外からの見学者が多く訪れるようになった。また、ブランドイメージ一新後に、マメのマークを手掛けたデザイン会社の専務が「面白い会社だから参加したい」と同社に入社し、その後、看板やウェブサイトなど販促物のデザインワークを統括している[4]。 沿革
所在地本社
店舗
カフェ
加盟団体
脚注
外部リンク
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