もうおまえしか見えない
「もうおまえしか見えない」(もうおまえしかみえない)は、日本のシンガーソングライターである尾崎豊の15枚目のシングル。 1996年4月25日にトランスビート・マスタートラックスからリリースされた。作詞・作曲は尾崎が担当、前作「OH MY LITTLE GIRL」(1994年)よりおよそ2年3か月ぶりにリリースされたシングルであり、未発表曲集『無題』(1996年)からのリカットとなった。 CBS・ソニー主催の「SDオーディション」の際に尾崎が歌唱した曲であり、オーディション合格後に1枚目のアルバム『十七歳の地図』(1983年)の収録曲候補として最終選考に残ったものの、プロデューサーであった須藤晃の判断によりレコーディングされず未発表曲となっていた。アルバム『無題』およびシングル盤にはデモテープの音源がそのまま収録されている。 このCDを含め、既存音源発売版権を持つソニー・ミュージックレコーズ以外のレーベルで発売された未発表音源集については、ファンクラブ「Edge Of Street」や所属事務所であったアイソトープからは、著作者の意思に反するものということで「公式」の音源とは認定されていない。 オリコンチャートでは最高位61位、登場回数3回で売り上げ枚数は1.7万枚となった。 録音、制作尾崎が1982年10月11日に受けたCBS・ソニー主催のオーディション『CBS SONY Sound Development Audition 1982』(SDオーディション)で「ダンスホール」、「町の風景[注釈 1]」、「野良犬の道 (Street Blues)[注釈 2]」と共に歌唱した曲であり、デモテープに収録されていた[1]。その後尾崎はオーディションに合格し、尾崎のプロデューサーとなった須藤晃と間で複数回におよぶミーティングが行われた[2]。ミーティングの度に尾崎は制作したデモテープや歌詞が書かれた大学ノートを持参していたが、須藤の望む作品ではなかったためレコーディングは開始されなかった[3]。その後尾崎は「十七歳の地図」の歌詞を完成させ、それを見た須藤は「これだよ! この曲だよ」と叫び絶賛した[4]。 「十七歳の地図」の歌詞が完成したことによって尾崎の1枚目のアルバム『十七歳の地図』(1983年)のレコーディングが開始され、収録曲候補として本作もリストアップされていたが、最終選考の段階で没とされレコーディングは行われなかった[1]。「ダンスホール」はジャクソン・ブラウンの「ザ・ロード」に似ている事から同様に没とされた[5]。しかし「ダンスホール」はその後もライブでは演奏されていたため、2枚目のアルバム『回帰線』(1985年)に収録される事になった[6]。 尾崎が10代の内に制作した曲は29曲であり須藤はこの曲数が少ないと述べているが、これは尾崎と須藤が共に作品に対してシビアであった結果であり、両者が「レコードにしてもいい」と判断した曲が29曲であったと述べている[7]。また、アルバム『十七歳の地図』以前に書き溜めた曲は多数あったが、本作や「野良犬の道」はレコードに入れておらず、尾崎の死後にレコード化された事に対して須藤は否定的な見解を示している[5]。 リリース尾崎の死去から4年後の1996年4月25日にトランスビート・マスタートラックスから8センチCDでリリースされた。 このシングルはカップリング曲も含め、アルバム『無題』に収録されている他の作品と同様に、デビュー前に録音された未発表音源をそのままリリースしたものであり、デモテープ音源であるためノイズなどが入っており、演奏は尾崎によるアコースティック・ギター1本での弾き語り演奏となっている。 別バージョン後にアルバム『風にうたえば』(1999年)において、服部克久によるオーケストラアレンジが施されたアレンジバージョンが収録されており、さらにアルバム『SEPIA』(2002年)には西本明によるオーケストラアレンジバージョンが収録されている。 アートワークジャケットデザインは、アルバム『無題』と同様に画家の池田満寿夫によるものとなっている。 収録曲
スタッフ・クレジット参加ミュージシャンスタッフ
リリース履歴
収録アルバム
脚注注釈出典
参考文献
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