もろさわようこ
もろさわ ようこ(1925年2月13日 - 2024年2月29日[1])は、日本の女性史研究家[2]。本名は兩澤葉子。一般財団法人「志縁の苑」代表理事[3]。 略歴![]() 1925年[2]、長野県北佐久郡本牧村(現・佐久市)生まれ[5]。 生家が没落し、女中奉公をしながら小学校を卒業。旧制専門学校入学者検定合格。戦中、疎開してきた陸軍士官学校・生徒隊本部に勤める[6]。戦後、北信毎日新聞の記者(1946年)[7]、鐘淵紡績丸子工場にあった鐘紡丸子高等文化学院の教員(1947年)を経て、1949年に上京した[8][5][6]。 1951年、日本婦人有権者同盟(会長:市川房枝)の本部事務局に入り、機関紙『婦人有権者』を編集[5]。また、財団法人婦選会館が発行する『月刊婦人展望』の編集者をつとめた[8]。女性史研究家となる。庶民世界での近代女性史に関する著書多数、女性解放運動に力を注ぐ。1969年、『信濃のおんな』で毎日出版文化賞受賞。 1972年4月、長野県における全国婦人集会で「職場で社会主義や共産主義を唱えている活動家に部落問題を尺度にあてたら、それが本物か偽物かわかります。さらに、部落解放運動をしている方に女性問題を尺度にあてたら、それが本物か偽物かわかります」と発言したため、部落解放同盟中央本部から「部落解放同盟の中に分断を持ち込んだ」との理由で締め出され、すべての部落解放同盟支部でもろさわの講演が差し止められたことがある[11]。後日、もろさわは「部落解放同盟には女性蔑視がある」と批判した[12]。 1982年、佐久市に「歴史を拓(ひら)くはじめの家」(「志縁の苑」の前身[3])を開設した[5]。2005年、第12回信毎賞受賞[13]。 2024年2月29日未明、神奈川県川崎市で間質性肺炎のため死去した[1]。99歳没。 著書
共編著
その他
脚注
参考文献
外部リンク
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