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この項目では、1969年に「帝都日日新聞」から改題された『やまと新聞』およびその発行会社について説明しています。1886年から1945年にかけて発行され現在の東京スポーツの系譜につながる『やまと新聞』については「やまと新聞」をご覧ください。 |
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株式会社やまと新聞社(やまとしんぶんしゃ)は、日本のニュースサイト運営会社。1969年(昭和44年)7月より、『やまと新聞』(やまとしんぶん)を発行していた。本項では、前身の『帝都日日新聞』についても併せて記述する。
概要
前身は1932年(昭和7年)8月に創刊された『帝都日日新聞』(ていとにちにちしんぶん)[注釈 1]略称は『帝日』で、1940年(昭和15年)11月30日、1871年(明治4年=旧暦明治3年)創刊の大日本帝国最古の近代新聞『東京毎日新聞』を合併[注釈 1]。
大東亜戦争(太平洋戦争・第二次世界大戦)遂行へと突き進む軍部・大本営報道部・東條内閣を批判する言論で発売禁止や停刊を繰り返し、ついには1944年(昭和19年)4月3日、内閣情報局から新聞紙法および治安維持法に基づく発行停止命令を受け、一旦廃刊[注釈 1]。終戦直後に一時復刊したが、創業者野依秀市が公職追放され再び休刊。対日講和から6年もの歳月が流れた1958年(昭和33年)7月19日にようやく完全復活を果たした[注釈 1]。野依死後の1969年(昭和44年)7月1日、児玉誉士夫がオーナーを務めていた国民タイムズ(現・東京スポーツ)の旧紙名を引き継がせて、『やまと新聞』に改題[注釈 1]した。
元来は日刊だったが、『やまと新聞』へ改題以降は刊行頻度の変更を重ね[注釈 2]、21世紀初頭には1、4、7、10月に季刊として発行[注釈 3]。2013年(平成25年)からは電子版による随時発行とした。「日本人による日本人のための新聞社であり続けます」「やまと新聞社は左傾化して行くマスコミとは一線を画し、国会内にあって唯一の保守本流新聞として戦います」[一次 1]と銘打ち、「国会両院記者会」の幹事社を務めている。
所在地
公式サイト内プライバシーポリシーの問い合わせ先は東京都千代田区永田町1-7-1の衆議院内[一次 2]、特定商取引に基づく表記は東京都中野区中野4-3-1のサンクオーレ2階[一次 3]としている。
2007年の日本マスコミ総覧では東京都中央区日本橋人形町(後述)とされている。2009年頃のウェブサイトでは、プライバシーポリシーページ内問合せ先は東京都中央区日本橋茅場町2-16-10[一次 4]、特定商取引法に基づく表記は東京都中野区新井1-12-14[一次 5]としている。2010年頃に更新されたプライバシーポリシー内問い合わせ先は東京都千代田区永田町1-7-1衆議院内[一次 6]としているが、特定商取引法に基づく表記内所在地は引き続き東京都中野区新井1-12-14としている。登記簿上の本社所在地は、東京都中野区中野4丁目3番1号 サンクオーレビル[1]。
沿革
帝都日日新聞
占領下
独立後
復刊
改題 やまと新聞
帝都日日新聞からやまと新聞へ
経過
『帝都日日新聞』はあくまでも野依秀市あっての新聞(野依新聞)で、1968年(昭和43年)野依の死後は経営が困難になる。筒井は『やまと新聞』『東京スポーツ』のオーナーだった児玉誉士夫の下を訪ねて経営参画を懇願する。児玉が元内閣総理大臣の岸信介に相談すると、「自分も考えるから一時預かって欲しい」と言われ[要検証 – ノート]、同志の吉田裕彦を社長、筒井を副社長、児玉は相談役として新体制を立ち上げる。翌1969年(昭和44年)7月1日、野依色を消して古い歴史を持つ『やまと新聞』に名前を変え再スタート[一次 44]した。しかし新生やまと新聞社は1970年(昭和45年)、政治資金パーティーの開催を巡って不手際を起こし、この責任を取って児玉と吉田が辞任。以後、日刊だった発行頻度は落ち込んでいった。
『やまと新聞』の足跡 日本主流新聞史通論
改題初号(第7583号)7月1日から(第7588号)7月7日(7月6日は日曜日で休刊)まで6回連載された、大森鉱太郎(旧やまと新聞編集局長心得経済部長)[3]著の旧『やまと新聞物語』。 改題にあたり『やまと新聞』が如何に歴史ある右翼新聞[注釈 4]であるかを読者に周知することを目的としていたと考えられる。以下に各号を記す。
- 『一世紀も前に実践 インボデンに媚態を呈す』
- 『明治十九年秋に創刊 忽ち発行部数第一位に』
- 『”戦況ニュースに努む” ”やまと優位”動かず 次々に大芸術家を育成』
- 『本格的活動を展開 満州事変が勃発 ”激動期”に直面す』
- 『戦時体制確立に寄与 松下から岩田にバトンタッチ ソ連機関紙プラウダ 五大紙の一つにあげる』
- 『昭和20年でピリオド 明治、大正、昭和の三代を風靡』
刊行物
特記ない限り、「国立国会図書館サーチ」(NDL Search)[4]にて検索したもの。
帝都日日新聞
- 三宅雄二郎『一地点より』(1933年)
- 野依秀市『高橋是清をあばく 国民は此顔を忘るゝな』(1934年)
- 雪嶺三宅雄二郎『隔日随想』(1934年)
- 雪嶺三宅雄二郎『二日一言』(1935年)
- 野依秀市『武藤さんと私』(1935年)
- 三宅雪嶺『初台雑記』(1936年)
- 野依秀市『近衛内閣の出現に当りて』(1937年)
- 野依秀市『総選挙と国民の認識』(1937年)
- 帝都日日新聞社編輯局 編著『電話問答』(1938年)
- 三宅雄二郎『面白くならう』(1938年)
- 三宅雪嶺『戦爭と生活』(1938年)
- 野依秀市『正義は遂に勝てり』(1939年)
- 三宅雄二郎『事変最中』(1939年)
- 双葉山定次『双葉山自叙伝』(1939年)
- 三宅雄二郎『変革雑感』(1940年)
- 帝都日日新聞社『新体制論』(1941年)
- 帝都日日新聞社編輯局 編著『世に知られざる問題の真相』(1941年)
- 野依秀市『望月圭介翁と私』(1941年)
- 野依秀市『航空機発達の今日まで』(1942年)
- 野依秀市『日米決戦と増産問題の解決』(1943年)
復刊 帝都日日新聞
- 寺村天風『今人古人 画壇随想 上巻』(1959年)
- 帝都日日新聞社編集局 編『4,900万人の国会常識 昭和34年度最新版』(1959年)
- 寺村天風『画壇隨想 今人古人 上巻』(1959年)
- 野依秀市『三笠宮は皇族を離脱か』(1960年)
- 帝都日日新聞社編集局 編『誰にもよくわかる国会常識 昭和36年版』(1961年)
- 里見岸雄『討論天皇』(1962年)
- 帝都日日新聞社[ほか]『写真で見る双葉山』(1962年)
- 野依秀市『戦後の首相五人を相手として』(1963年)
- 木村庄之助『ハッケヨイ人生』(1966年)
- 松尾邦之助『親鸞とサルトル』(1966年)
改題 やまと新聞
- やまと新聞社政治部 編『みてくれ都政 都民のための都政とは何か』(1970年)
- 岩野光伸『社長経典 第1巻』(1970年)
- 西川泰編『日本の災害』(1974年)
- 小森義峯『改憲のための憲法読本』(1976年)
- 飯田万平『株式総会裏面史』(1977年)[5]
公式ウェブサイト
2008年5月30日、インターネット上に公式ウェブサイト(以下、公式サイト)を開設[一次 45]する。株式会社ファーストアクセスがサイト設置に関与[6][一次 46]しており、問合せ先が設けられていた[一次 47]。2009年に有料会員向けサイトをリニューアル[7]してウェブサイトサービス提供者は株式会社やまと新聞社になる[一次 4]。
国会内のみでの活動に制限されていたとの主張
かつて、自社のウェブサイト上で「GHQによる制約によって、長らく取材や新聞発行などの活動が国会内のみに制限されていた」との主張を行っていた時期がある[一次 48]が、GHQによる言論弾圧は1952年(昭和27年)の対日講和により終了している。
児玉が経営に関与した1970年代以降、前述のとおり各地に支社を設置するなどしている。さらに、「2009年にようやく国会以外での活動ができるようになった」とも称していた[一次 48]が、『日本マスコミ総覧』(文化通信社)によると、2007年12月14日時点での同社概要は下記のとおりとなっており(『2007年-2008年版』より抜粋。『2003年-2004年版』『2005年-2006年版』も同様)、2009年以前から国会外で活動が確認できる。[独自研究?]
また、旧帝都日日新聞を直接の前身とする現在の『やまと新聞』の創刊が1932年(昭和7年)4月1日であるのに対し、ウェブサイトでは「明治19年創刊」と記述されているが、これは後の東京スポーツにつながる明治期創刊の同名紙の題号を引き継いだためである(前述)。
- 所在地:〒103-0013 東京都中央区日本橋人形町1-11-6
- 資本金:3000万円
- 決算月:6月
- 従業員数:10名
- 代表刊行物:『やまと新聞』(創刊1932年4月1日/月刊/4頁/ブラ/月2500円/65000部/広告有)
- 役員:代表取締役社長 岡時雄、取締役相談役 木下陽弘
- 東海支社:〒500-8207 岐阜県岐阜市日野北5-9-20
- 北日本支社:〒920-0856 石川県金沢市昭和町6-3
- 岡山支社:〒700-0026 岡山県岡山市奉還町1-1-7
- 熊本支社:〒862-0954 熊本県熊本市神水2-10-1 第2宏和ビル
- やまと新聞宮崎:〒880-0056 宮崎県宮崎市神宮東1-7-25 小松ビル1階
- 中国支社:〒730-0003 広島県広島市中区白島丸軒町17-1
両院記者会
『やまと新聞』が幹事を務めるとされる記者クラブ。
創設日・現況
- 1890年(明治23年)、帝国議会開設と同時に東京府東京市麹町区内幸町(現・東京都千代田区霞が関、経産省総合庁舎敷地)に造られた国会議事堂内に設置され、現存する記者クラブでは最古である。当時政府系の報道機関が加盟し、衆議院と貴族院の両院で取材をすることが許されたことから、その名が付いた。また、非政府系の「共同新聞記者倶楽部」は衆議院の取材しか許されなかった。
- 現在、幹事社を務めるやまと新聞のほか、「国会新聞」「公民新聞」「官界通信社」「合同通信」「日刊労働新聞」「ニュース日本」などが加盟している。国会通行証は一般記者のものではなく、政党機関紙・専門紙記者用のもの(「自由民主」や「しんぶん赤旗」、「日本農業新聞」など)が使われている。通常は加盟会社や各政党に通行証が割り当てられているが、同記者会の場合は加盟社の記者が個人名で登録を申し込むことになっている。よって、通行証には「所属会社・氏名」ではなく、「両院記者会・氏名」と記されている(かつて同紙政治部長を務めていた宇田川敬介がチャンネル桜の番組に出演した際、この通行証の実物を披露したことがある)。
- 同記者会のブースは衆議院正門入ってすぐ左の警備室(衛視)の一角にある(警備室の前が国会見学の際の記念撮影の場所になっているので、見学のついでに同記者会の現状を誰でも見ることができる。物置きスペースと国会見学者用のトイレの間のスペースに木製の看板だけが掲げられているだけである。よって、国会関係者でも「知る人ぞ知る」記者クラブである)。
- 一部で同記者会のみが国会内にあるとの指摘があるが、国会の建物内には、「衆議院記者クラブ」「参議院記者クラブ」「内閣記者会分室」「映報クラブ」「民放クラブ」、各政党の記者クラブがあり、また国会記者会館には「国会記者会」を構成する大手マスコミが入居しているので、この指摘は全くの間違いである。
やまと新聞と両院記者会
- 新企画の案内で「『国会記者クラブ』の第一線記者による」と記載 (1987年=昭和62年12月10日 第11235号)・・・ 「両院記者会」と関係がない
- 大阪支社開設の社告にて「創立いらい、国会記者クラブ(両院記者会)に所属し、」と記載。(1988年=昭和63年3月4日 第11246号) ・・・「国会記者クラブ」の事を「両院記者会」と呼んでいる。
- 日本マスコミ総覧1991年版~2008年版にかけて加盟団体の項目なし(他には記者クラブを載せるところもあり。)。
- やまと新聞(2009年=平成21年7月15日 第11811号)4面PRページで”明治19年創刊”はあるが『両院記者会』の文字はない。10月15日号で「国会両院記者会」が登場する。
戦前の記者会(国会関係)(参考)
「日本新聞年鑑」より。 帝国議会(貴衆両院)に関する報道を行うのために「同盟新聞記者倶楽部」を明治23年(1890年)の帝国議会開設と共に組織。 「同盟新聞記者倶楽部」は、昭和11年(1936年)12月5日に「帝国議会記者倶楽部」と改称 12年(1937年)春にそれより「議院記者会」が分離独立した。 [8] 「両院記者会」については全く記載が無い。
旧やまと新聞と記者会
旧『やまと新聞』関係者は、「同盟新聞記者倶楽部」に所属、分裂後は、「議院記者会」へ。
週刊ラジオやまと新聞
- 2011年10月6日から半年間、神奈川県域放送局のラジオ日本で放送されていた同社提供のトーク番組。土屋敬之東京都議会議員や同紙の岡時彦編集局長、宇田川敬介政治部長らが出演していた。
関連項目
- やまと新聞 - 1886年(明治19年)東京で創刊した名門大衆紙。大東亜戦争中に児玉がオーナーになった。
- 東京スポーツ - 児玉が経営したやまと新聞の系譜は、こちらに引き継がれている。旧帝日の系譜も傍流ながら受け継がれている。
- 横浜毎日新聞 - 旧帝都日日が合同した大日本帝国最古の近代新聞。
- 毎日新聞GHD・毎日新聞社 - 帝日が東京毎日を合同したことにより、東京で『毎日』と名乗る日刊商業新聞が無くなり、全国紙『毎日新聞』への改題が可能になった。
関連人物
- 野依秀市(帝都日日新聞創業者、元社主)
- 児玉誉士夫(右翼運動家、暴力団稲川会顧問、元やまと新聞相談役)
- 吉田裕彦(元やまと新聞社長(初代))
- 筒井弥二郎(元やまと新聞社長(2代))
- 西山幸輝(元やまと新聞会長)
- 宇田川敬介(ジャーナリスト、選挙コンサルタント、元同紙政治部長、元国会新聞社編集次長)
関連書籍
参考資料
脚注
注釈
- ^ a b c d e 外部リンク(国立国会図書館の新聞紙名変遷情報)を参照。
- ^ 外部リンク(国立国会図書館の所蔵情報)を参照。
- ^ 国立国会図書館のデータベースは月刊としている。
- ^ 連載第6回『昭和20年でピリオド 明治、大正、昭和の三代を風靡』において「他の右翼新聞とともに」の記載あり。
出典
記事本文
一次資料
- ^ やまと新聞社 公式サイト[出典無効]
- ^ プライバシーポリシー(やまと新聞社公式サイト内) Archived 2013年1月27日, at the Wayback Machine.
- ^ 特定商取引に基づく表記(やまと新聞社公式サイト内) Archived 2013年1月26日, at the Wayback Machine.
- ^ a b プライバシーポリシー(やまと新聞社公式サイト内) - インターネットアーカイブ2009年6月27日付保存キャッシュ)
- ^ 特定商取引法に基づく表記(やまと新聞社公式サイト内) - インターネットアーカイブ2009年6月27日付保存キャッシュ
- ^ プライバシーポリシー(やまと新聞社公式サイト内) - インターネットアーカイブ2010年5月27日付保存キャッシュ
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- ^ a b 『帝都日日新聞』原紙 復刊五千十号(昭和36年2月11日)
- ^ 『帝都日日新聞』原紙 復刊四千百九十四号(昭和33年7月19日)
- ^ 『帝都日日新聞』原紙 復刊五千号(昭和33年1月31日)
- ^ 『帝都日日新聞』原紙 復刊六千二百九十号(昭和40年4月13日)
- ^ 『帝都日日新聞』原紙 復刊七千二百二号(昭和43年4月2日)
- ^ 『帝都日日新聞』原紙 復刊七千五百八十二号(昭和44年6月30日)
- ^ 『やまと新聞』原紙 第7583号(昭和44年7月1日)
- ^ 『やまと新聞』原紙 第7890号(昭和45年7月1日)
- ^ 『やまと新聞』原紙 第7897号(昭和45年7月11日)
- ^ 『やまと新聞』原紙 第7952号(昭和45年9月14日)
- ^ 『やまと新聞』原紙 第7998号(昭和45年11月11日)
- ^ 『やまと新聞』原紙 第8022号(昭和45年12月10日)
- ^ a b 『やまと新聞』原紙 第8029号(昭和45年12月18日)
- ^ 『やまと新聞』原紙 第8051号(昭和46年1月19日)
- ^ 『やまと新聞』原紙 第8598号(昭和47年11月13日)
- ^ 『やまと新聞』原紙 第8610号(昭和47年11月28日)
- ^ 『やまと新聞』原紙 第8908号(昭和48年11月29日)
- ^ 『やまと新聞』原紙 第8945号(昭和49年1月30日)社告
- ^ 『やまと新聞』原紙 第9521号(昭和51年5月29日)予告
- ^ 『やまと新聞』原紙 第9554号(昭和51年7月15日)予告
- ^ 『やまと新聞』原紙 第9832号(昭和52年9月1日)
- ^ 『やまと新聞』原紙 第9885号(昭和52年11月22日)
- ^ 『やまと新聞』原紙 第10065号(昭和53年8月23日)社告
- ^ 『やまと新聞』原紙 第10072号(昭和53年9月1日)社告
- ^ 『やまと新聞』原紙 第10083号(昭和53年9月20日)社告
- ^ 『やまと新聞』原紙 第10428号(昭和53年3月4日)社告
- ^ 『やまと新聞』原紙 第10586号(昭和55年10月29日)社告
- ^ 『やまと新聞』原紙 第10944号(昭和55年5月8日)
- ^ 『やまと新聞』原紙 第10999号(昭和58年5月20日)
- ^ 『やまと新聞』原紙 第11040号(昭和59年3月9日)
- ^ 『やまと新聞』原紙 第11064号(昭和59年8月24日)
- ^ 『やまと新聞』原紙 第11120号(昭和60年9月27日)
- ^ 『やまと新聞』原紙 第11146号(昭和61年3月28日)
- ^ 『やまと新聞』原紙 第11235号(昭和62年12月10日)
- ^ 『やまと新聞』原紙 第11733号(平成10年3月27日)
- ^ “編集部からのお知らせ”. 2019年3月22日閲覧。
- ^ 『やまと新聞』原紙 第7891号(昭和45年7月4日)2面 関西総支社開設披露パーティ 児玉誉士夫あいさつ
- ^ サイトがオープン - 編集部からのお知らせ(2008年5月30日付。リンク先は、インターネットアーカイブ2008年6月2日付保存キャッシュ)
- ^ プライバシーポリシー(やまと新聞社公式サイト内) - インターネットアーカイブ2008年6月2日付保存キャッシュ)
- ^ 個人情報の取り扱い(やまと新聞社公式サイト内) - インターネットアーカイブ2008年6月2日付保存キャッシュより。
- ^ a b “やまと新聞 > 編集部コラム「やまと新聞って?明治19年創刊?」”. 2010年6月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月16日閲覧。
外部リンク