アジアティックボーイ
アジアティックボーイ(Asiatic Boy、エイジアティックボーイとも表記)とはアルゼンチンで生産された競走馬である。 2007年にドバイ三冠をすべて制し、史上初のドバイ三冠馬となった。 南アフリカ共和国のマイケル・デコック厩舎に所属していたが、南アフリカ共和国でのレース出走経験は無い。 経歴2005年 / 2006年(2歳)アルゼンチンのロベルト・ペレガッタ厩舎に所属し、競走馬デビュー戦となった2006年2月18日のメイドン競走は2着、続く3月18日のメイドン競走を制してデビュー2戦目で初勝利を挙げた。そして次走は重賞及びG1競走初挑戦となる5月20日のアルゼンチングランクリテリウムに出走したが2着だった。レース後は休養に入り、休養中にシェイク・ムハンマド・ビン=ハリーファ・アール=マクトゥームにトレードされたことに伴い南アフリカ共和国のマイケル・デコック厩舎へ転厩した。 2006年 / 2007年(3歳)休養を終えてドバイに遠征し、転厩後初戦の2007年1月8日に行われた一般競走ではウェイチョン・マーウィングが騎乗してレースを制し、転厩後初勝利を挙げた。続くドバイ三冠競走第1戦目となる2月9日のUAE2000ギニー(G3)はジョニー・ムルタに乗り替わってレースを制し、重賞競走初勝利を挙げた。続くドバイ三冠競走第2戦目となる3月1日のアルバスタキヤ(準重賞)は再びマーウィングが騎乗して2着となったビクトリーテツニーに7馬身差をつけてレースを制し、ドバイ二冠馬となった。そしてドバイ三冠競走第3戦目となる3月31日のUAEダービー(G2)も制し、史上初のドバイ三冠馬となり、レース後は休養に入った。 2007年 / 2008年(4歳)休養を終えてイギリスに遠征し、実戦復帰戦となる2007年8月1日のサセックスステークスに出走したが4着、続く8月21日のインターナショナルステークスでは、ジェイミー・スペンサーが騎乗して出走したが5着だった。その後は休養を挟んで再びドバイに遠征し、2008年1月24日のアルシンダガスプリント(G3)に再びムルタを鞍上に迎えて出走し、レースを制し重賞競走3勝目を挙げた。以降ムルタが主戦騎手となり、続く3月1日のバージナハール(G3)は3着、そして迎えた3月29日のドバイワールドカップでは、カーリンに敗れたが2着となった。その後は休養に入りシーズンを終えた。 2008年 / 2009年(5歳)休養を終えて3年連続でドバイに遠征し、実戦復帰戦となった2009年2月5日のマクトゥームチャレンジラウンド2(G3)ではマイインディに敗れて3着だったが、続くドバイワールドカップの前哨戦となる3月5日のマクトゥームチャレンジラウンド3(G2)を制して重賞競走4勝目を挙げた。そして3月28日のドバイワールドカップに出走したが、12着と大敗した。その後、米国へ遠征し6月13日のスティーブンフォスターハンデキャップに出走して2着に入った。 2009年 / 2010年(6歳)前走に続いてアメリカのサバーバンハンデキャップに出走、前走と実績から断然の1番人気に推されたが、ドライマティーニに大きく差し切られて再び2着に敗れた。続く9月5日のウッドワードステークスではレイチェルアレクサンドラの4着に終わった。続くジョッキークラブゴールドカップステークスでは7着と殿負けに終わった。そしてこのレースを最後に現役を引退した。 血統表
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia