アジアトスクス
アジアトスクス(学名:Asiatosuchus)は、古第三紀暁新世[1]から始新世にかけて生息した、クロコダイル上科に属する絶滅したワニの属[2]。全長は4メートルに達する[2]。外見は現生のクロコダイル科と類似するが、歯の本数をはじめとする特徴で異なる[2]。 アジアトスクスとされた地質時代上最古の化石はインドのアーンドラ・プラデーシュ州から産出した未定種の歯の化石であり、当該の地層は下部が上部白亜系マーストリヒチアン階、上部が古第三統暁新統に位置付けられている[3]。古第三紀に入ってアジアトスクスは分布域を拡大しており、中国やロシアの暁新統[2]、ヨーロッパの始新統から報告がある[2]。内モンゴル自治区産[4]標本に基づいて1940年にアジアトスクス属が設立されて以降こうした多数の標本が本属に分類されてきたが、Delfino and Smith (2021)はアジアトスクス属の分類を整理し、タイプ種A. grangeriだけが本属に属するものと主張した[5]。多くの種は疑問名として扱われ、"A." germanicusや"A." depressifronsといった有効な種もA. grangeriとの単系統群を形成しない状況にある[5]。 特徴他の古第三紀のクロコダイル上科の大部分と同様に、アジアトスクスは背側から見ると三角形をなす一般的なワニの頭蓋骨を有する。アジアトスクスの種の上顎の歯は下顎の歯を完全に被覆しており、噛み合わせが深くなっている(過蓋咬合)。現生のクロコダイル科の歯は互いに小さく重なり合って噛み合うため、過蓋咬合はクロコダイル上科の中では原始的な特徴である。アジアトスクスを他の初期のクロコダイル上科から区別する特徴としては、長く伸びた下顎結合が挙げられる。数多くのクロコダイル上科の属種ではこの関節は歯骨と板状骨からなるが、アジアトスクスにおいては歯骨のみから構成される[5]。ほぼ完全な"A." germanicusと"A." depressifronsの骨格に基づくと、アジアトスクスは全長4メートルに達した可能性がある[6]。 種A. grangeriアジアトスクスのタイプ種A. grangeriは、中国内モンゴル自治区に分布する中部始新統のIrdin Maha層から産出した下顎の化石に基づいて古生物学者チャールズ・ムックにより1940年に命名された。これらの化石は1930年にアメリカ自然史博物館が実施した中央アジア遠征に際してエレンホト市の付近で発見された。ムックが命名した種小名grangeriはアメリカ自然史博物館に所属し遠征にも参加していた古脊椎動物学者ウォルター・W・グレンジャーへの献名である[4]。ムックは本種がクロコダイル属の種に近縁であると考えたが、下顎の左右それぞれに最低17本の歯が存在したこと、また板状骨が下顎結合の形成に参加しない点で異なるとも判断した[5]。 "A." germanicus![]() ![]() 1966年にはドイツとフランスから初めて保存の良いクロコダイル上科の爬虫類の化石が記載され、アジアトスクスの新種A. germanicusと命名された[5]。特にドイツの標本は始新世の無酸素湖やその周囲の亜熱帯林に生息した生物の化石が豊富に保存されているメッセル採掘場から産出したものである。本種はアジアトスクス属に分類されてきた全ての種の中で最も完全な骨格が知られているものである[7]。 "A." depressifrons![]() "Asiatosuchus" depressifronsはフランスで発見された前期始新世の頭蓋骨に基づいて1855年に新種Crocodilus depressifronsとして命名された。化石は著しく黄鉄鉱化していたため、元々の解剖学的な特徴の詳細は大部分が失われていた。命名の後、ヨーロッパの博物館に所蔵されていた他の複数のワニ化石がC. depressifronsとして扱われた。種小名depressifronsは頭蓋骨のうち前頭骨が平坦であることに基づいており、これは本種に分類された全ての化石に共通する特徴である。また、下顎結合の部分に6対の歯が配列する点も共通点である。他の数多くの暁新世のクロコダイル上科の種と同様に、"A." depressifronsは現生のクロコダイルと頭蓋骨の概形が類似していたことから、当初は現生の属であるクロコダイル属に分類されていた。ムックはAsiatosuchus grangeriを命名した直後にC. depressifronsをアジアトスクス属に再分類した[5]。 ベルギーの前期始新世の堆積物からはより完全な"A." depressifronsの化石が新たに数多く発見されており、本種の大部分の骨格の詳細が明らかにされている。"A." depressifronsは複数の形質の組み合わせによってアジアトスクス属の他の全ての種から区別されており、具体的には頬骨に存在する大型の孔や窪み、上側頭窓に到達しない前頭骨、左右の外側から見た際に視認可能な後眼窩骨が挙げられる。この他にも、本種は過蓋咬合を欠く点でも区別できる[5]。 "A." nanlingensis1964年に中国の古生物学者楊鍾健は中国広東省の南雄市に分布するShanghu層から産出した断片的な化石に基づき、アジアトスクス属の新種 Asiatosuchusを命名した[8]。本種の標本の付近では小型の糞石も発見されている[9]。また本種はエオアリゲーターと同時に発見されており、2016年の研究では両者をシノニムとする意見も提唱されている[10]。ある後続研究ではこの結論に 異論が唱えられた[11]、他の研究者らは"A." nanlingensisと"E." chunyiiをシノニムとする当初の見解に肯定的である[12]。それ以降、様々な研究で両者メコスクス類の種[1]やメコスクス類とクロコダイル科を含む分岐群の基盤的位置の種[12]として扱われている。 他の種ロシアから産出したアジアトスクスの種は2種が命名されており、1982年にA. zajsanicusが、1993年にA. volgensisが命名されている。Angielczyk and Gingerich (1998)は、標本に保存されている解剖学的特徴が乏しいことから両者を疑問名として扱った。後にA. zajsanicusはEfimov (1988)によってトミストマ亜科のドロスクスに再分類されたが、Brochu (2007)はドロスクス自体を疑問名とした [5]。 北アメリカから産出した複数のワニ化石もまたアジアトスクス属への分類が提唱されてきた。アメリカ合衆国ワイオミング州のブリッジャー層から産出した"Crocodylus" affinisはA. grangeriと板状骨や前頭骨の形態が類似していたが、"C." affinisは完全な頭蓋骨が知られているのに対しA. grangeriの化石はあまりにも断片的であるため、アジアトスクスとして分類することは不可能である[5]。 イタリアのモンテヴィアーレに分布する漸新世の堆積物から産出したクロコダイル上科のワニは1914年に"Crocodylus" monsvialensisと命名され、1993年にアジアトスクス属へ再分類された。ただし、本種についてはこの分類を疑問視し、ディプロキノドンとのシニノムと見る研究者もいる[5]。モンテ・ボルカの中部始新統から産出した"Crocodylus" vicetinusはKotsakis et al. (2004)によってアジアトスクスに再分類されたが[13]、その後再度分類が改定された。 パキスタンのスライマーン山脈から産出したクロコダイル上科の部分的な骨格は暫定的にアジアトスクス属に分類された。この化石は中部始新統の海成層であるDrazinda層で発見されたものであり、同じ層には古鯨類の化石も保存されている。アジアトスクスの可能性がある化石が海成層から産出したことからは、こうしたクロコダイル類が長期的に海洋環境に滞在可能であったことは示唆される。この能力は初期のクロコダイル上科の種がヨーロッパとアジアに分布を拡大することに寄与したと考えられる[7]。 系統![]() ワニの系統解析においてアジアトスクスは現生のクロコダイルと化石種を含むクロコダイル上科と呼ばれる分岐群に位置付けられている。Salisbury et al. (2006)を参考にした小林快次『ワニと恐竜の共存』によれば、アジアトスクスはナイルワニやニシアフリカコビトワニより基盤的な位置に置かれ、またプロディプロキノドンと基盤的な位置で多分岐をなしている[14]。 系統解析の結果によっては、"Asiatosuchus" germanicus はオーストラリアや南太平洋地域に生息した高度に陸生へ特化したワニであるメコスクス類と姉妹群をなすこともある。両者が姉妹群をなすことは、両者の共通祖先が近いことを示唆する。既知の範囲内で最初期かつ最も基盤的なメコスクス類の属であるカンバラはアジアトスクスと同時代に生息しており、アジアトスクスまたはそれに類似するクロコダイル上科の種がメコスクス類の祖先としてオーストラリアに分布を拡大した可能性があることが示唆される。しかしこの系統解析の結果にも拘わらず、"A." germanicusの生息地は遠く離れているためヨーロッパからオーストラリアに到達した可能性は非常に低く、本種がメコスクス類の祖先になったとは考えにくいとされる[15]。 大半の系統解析では、アジアトスクスの全ての種が単系統群をなすことは支持されていない。アジアトスクスの種は側系統群として扱われることが多く、この場合はより派生的なワニに至る進化的段階を示すことになる。属名は研究者によって通常単系統群に対して名付けられるものであるため、真にアジアトスクス属に属する有効な種はタイプ種A. grangeriのみと考えられる。"A." germanicusと"A." depressifronsは引用符で囲まれているが、これはアジアトスクス属に属さないもののいまだ別の属名が命名されていないためである。系統解析を実施するのに十分な形質を保存している種は上記の3種に限られるため、アジアトスクスに分類されている他の種との類縁関係は不明である[5]。 以下のクラドグラムはDelfino and Smith (2009)に基づく。アジアトスクス属の種は単系統群をなさないことが示されているが、アジアトスクスの種はデータマトリックスに挿入された僅かな形質のみが異なっており、またA. grangeriと"C." affinisとの間で異なっていないことから、DelfinoとSmithはこの類縁関係の支持が弱いと判断した[5]。
Lee and Yates (2018)が形態情報・分子情報・層序情報に基づいて実施したワニの系統解析では、アジアトスクスはクロコダイル上科の外部に置かれ、ロンギロストレス類よりも基盤的な位置に置かれた[16]。
出典
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