アジア主義 (アジアしゅぎ)、または汎アジア主義 (はんアジアしゅぎ、英語 : Pan-Asianism )、大アジア主義 (だいアジアしゅぎ)とは、日本 と他のアジア 諸邦の関係や、アジア の在り方についての思想 ないし運動の総称である。19世紀 後半に活発となった欧米 列強 のアジア進出・植民地化に対抗する方策として展開された。
概要
欧米列強の脅威の排除とアジアとの連帯を目指した主張で、明治 中期までの日本ではもっぱら興亜会 に代表される「興亜論 」(こうあろん)の名称で呼ばれた。他方、旧・福岡藩士を中心として1881年につくられた玄洋社 が著名である。中でも頭山満 は長きにわたりアジア主義の流れの中で大きな存在感を示した。アジア主義の内容は開国文明化(逆に反欧化)、協同、合邦、新秩序構築など、論者の思想的立場によって異なり一義的な定義はなく、対象地域も東アジア・東南アジアにとどまらず、中東 までに及ぶものがある。また、国際情勢の変化に伴って主張内容が変化する。
政府では大久保利通 と李鴻章 の約束に始まる日本と清 ・朝鮮 との対等提携指向を指すものであったが、冊封 体制下の朝鮮をめぐって江華島事件 や壬午事変 、甲申政変 を経て起こった日清戦争 で、アジア主義は主戦論 と非戦論 に分裂し、政府 や国内の新聞 も清 への対外硬 が主流となり、日清戦争の勝利で清朝に対して領土割譲や賠償金を求めていく方向に向かった。対して民間においては、樽井藤吉 の『大東合邦論』のような日本と朝鮮の対等な合併(合邦)の思想があり、内田良平 ら日本と朝鮮の対等な合邦を目指した李容九 と結んで行動するなどの動きがあった。また、日清戦争に関しても荒尾精 のように清朝に対する領土割譲要求に反対するものもいた。
三国干渉 や義和団事件 後ロシアが満洲への進出を強める状況下、ロシアを踏破するなどロシア問題に強い関心を持ち、1901年に黒龍会 を創設した内田良平が対露主戦論を唱えている。対露主戦派は、貴族院の有力政治家で東亜保全の立場に立つアジア主義的な近衛篤麿 を会長に国民同盟会 、のちに対露同志会 (内田や頭山も参加)を結成し、主戦論を牽引した。日露戦争 下では玄洋社が関わったとされる満洲義軍 の活動があった。
日露戦争 以降のアジア主義では、ロシア帝国 に勝利して得た東アジア における日本の優位を前提にアジアの革命 勢力を支援する思想が強まる。辛亥革命 に中国の革命時には多くの日本人が中国各地で支援活動した。日本政府や軍には中国で共和制国家が成立することを嫌い派兵干渉の考えを持つ勢力もあったが、内田や犬養、杉山茂丸 はそれを阻止すべく尽力し、西園寺 内閣は結局派兵を行わなかった[ 1] 。後、中国人の対日感情を悪化させることとなる対華21カ条要求 といった日本政府の行動に対しては宋教仁 と深い関わりをもった北一輝 やこの時期の中野正剛 などは批判的な立場を取っていた。犬養や内田も反対している[ 2] 。他方、日英同盟 下にあっても政府の外交方針に関係なく、アジア各地の独立運動を支援するアジア主義者の行動はあり、たとえば頭山満らが日本政府の国外追放命令からインド独立運動家のラース・ビハーリー・ボース を匿い保護した一件があげられる。また、大川周明 のように南アジアから中東・イスラム 地域に目を向ける動きもあり、大川が主導した東亜経済調査局 の付属研究所など、当該地域に向けた人材育成を行う機関もつくられた[ 3] 。イスラームとの関わりでは満洲事変 以後には大日本回教協会 なども結成されている。
やがて日中戦争 を通じ、日本を盟主とした「東亜新秩序 」(アジア・モンロー主義 あるいは大アジア主義)、日中戦争初期の昭和研究会 による「東亜協同体論 」としての政策 化、大政翼賛会 の興亜総本部 や大日本興亜同盟 による統制、そして「大東亜共栄圏 」構想へとつながっていく。なお、日中戦争については和平交渉が試みられたが、アジア主義の系譜では萱野長知 が和平工作を行っている。戦中の1943年には「大東亜共同宣言 」が出された。日本はいわゆる大東亜戦争には敗れるが、敗戦後も東南アジアに残った旧日本軍人の中には、現地の独立闘争に参加・貢献した人々が存在した[ 4] [ 5] (残留日本兵 )。
戦後においては、1990年に当時マレーシア の首相であったマハティール・ビン・モハマド が打ち出した東アジア経済圏構想などは西洋諸国を加えないもので、アジア主義として語られることがある[ 6] 。
また、冷戦 後の国際的な地域統合 の流れの中で生まれたASEAN+3 による東アジア共同体 構想や、本来の「日本・支那・朝鮮の対等提携」に近い日中韓首脳会談 (大久保利通の玄孫である麻生太郎 が主催した)で設立された三国協力事務局 なども、しばしば戦前・戦中のアジア主義(特に東亜協同体論)と関連付けて言及されることがある。
年表
人物・組織・思想
興亜会
1880年 、海軍 軍人で中国での情報活動に従事していた曽根俊虎 などを中心に設立された。琉球処分 や壬午事変などで日清関係が悪化していくなかで両国の平和的な提携論を標榜し、最初のアジア主義団体とされている。駐日公使の何如璋 ら清政府関係者の支持も受け、日清提携のための中国語 での機関誌発行や語学 教育に力を入れた。のち亜細亜協会と改称し、東亜同文会 が設立されるとこれに合流した。
東邦協会
陸軍の小沢豁郎 、白井新太郎 らが中心となって設立。副島種臣 を初代会長とし、清 の地下組織「哥老会」を利用して革命を起こそうとした。その後は東亜同文会に合流した。
善隣協会
興亜会から分離した吾妻兵治 、岡本監輔 らが内蒙古における医療・教育援助を目的として設立した善隣講書館が前身。和書や洋書を漢訳出版し中国へ輸出した。のち陸軍少将・依田四郎が協力し、善隣協会専門学校 が設立された。一部は東亜同文会に合流した。
東亜同文会
戊戌の政変 により日本に亡命した康有為 ・梁啓超 の支援をきっかけに作られた政教社 系の東亜会 と、中国で商業 活動を担っていた大陸浪人 が組織した同文会 の合併により1898年 発足した。初代会長は近衛篤麿 で、東亜同文書院 の経営を主な活動とした。
岡倉覚三 (天心)
ボストン美術館東洋部(中国・日本部)部長。1903年にイギリスの出版社から刊行された英文著書『The Ideals of the East 』(東洋の理想)の冒頭に「Asia is one.」(「アジアは一つである」)という著名な一節がある。[ 7] [ 8] [ 9]
植木枝盛
『愛国志林 』、『愛国新誌 』などで独自の小国主義・アジア連合論を展開。清朝や朝鮮との戦争 に反対し、アジアの被抑圧からの独立振興を主張した。
樽井藤吉
1885年 、『大東合邦論 』を執筆し、日本と朝鮮の対等合併による「大東国」建国を主張した。大阪事件 に連座して下獄したため原稿(日本文)を散逸し、日清戦争直前の1893年 に漢文 で出版した。
犬養毅
頭山満 の盟友。東亜同文会会員。中国から亡命 してきた孫文や蔣介石 、インド から亡命してきたラス・ビハリ・ボース らをかくまう。理想主義的なアジア主義を掲げ、日本の大陸への侵略的行動に反対し、五・一五事件で暗殺されたがこれは関東軍の満州侵略をやめさせようとしためだったとも言われる。
玄洋社
初代社長は平岡浩太郎 。人物では頭山満 が著名だが、頭山は社長になったことはない。福岡県 を拠点にし、中国の孫文や朝鮮の金玉均 を援助、日清戦争にあたっては開戦を主張した。日露戦争時には、自身らのメンバーが馬賊 を編成し、ロシア軍 の後方を撹乱したと主張している。玄洋社自体は民権・国権主義団体であるというだけで雑多な思想を持つ者が寄り集まった大きな団体である。頭山満はアジアの民族主義者を支援したものの、自身のアジア主義の思想内容について明確にしたことはなく、単なる利権目当てであったとの見方もある[ 10] が、インドの独立運動家ラース・ビハーリー・ボースらを匿い保護するなどの利益を超えた行動があった。薩摩閥あるいは弱小政党を経ることが多かった犬養毅などと近く、必ずしも日本政府・軍部主流派のアジア主義とはならず、官憲側とは緊張関係に立つことも多く、「大東亜共栄圏」構想には与しなかった。広田弘毅 は正規のメンバーだったといわれる。
黒龍会
内田良平 が主宰。朝鮮での甲午農民戦争 時に東学 と連携しつつ清軍を挑発するために派遣され、閔妃暗殺にもかかわった玄洋社 の別働隊「天佑侠 」を起源としている。玄洋社 の別働隊として、その事実上の行動部隊の役割を担うことも多かった。なお名称の「黒龍」とは黒い龍ではなく、黒龍江(アムール川 )を指す。
中国同盟会
宮崎滔天 や梅屋庄吉 、和田三郎 、北一輝 らが参加。東遊運動 を開始し、辛亥革命 に協力した。
金玉均 「三和主義 」
「三和主義 」発案者。三和主義 を唱えた。
三和主義 とはアジア主義 を東アジア に特化させた、特に大韓帝国 、大清帝国 、大日本帝国 に焦点をあて衰運を挽回する事を唱えた。欧米列強 に立ち向かうべきだと主張した。所謂 、自主独立 共存共栄 である。李氏朝鮮の親日開化派の領袖となり、閔妃追放のために甲申事変を起こすが失敗、日本に亡命。10年にわたって活動したものの必ずしも日本政府の支援を受けられず、最後は閔妃に送り込まれた刺客によって清国に誘い出され、暗殺される。このとき一説には、李鴻章に会見して三和主義を説くことができると刺客に欺かれたのだともいう。
孫文 「大アジア主義講演 」
1924年 11月、日本の神戸 で講演し、「日本は西洋 覇道の鷹犬になるのか。東洋王道 の干城になるのか」と述べる。東洋の仁義道徳を、世界秩序の基本にすべきであると主張し、日本政府に対して中国との不平等条約 を改正することを暗に求めた。カラハン宣言 により不平等条約を破棄したソビエト連邦 を王道の側に立つ国家とし、日・中・ソの提携を提唱している点に特徴がある。
汪兆銘
汪兆銘は国父孫文の大アジア主義の意思を継承した人物。1912年1月1日、南京 で孫文は臨時大総統に就任し列国に向かって中華民国 成立の宣言を発表したが、この宣言の起草を行った。日中戦争 中には徹底抗戦を主張する蔣介石に対し日中の共存共栄こそ中国国民 の幸せに至る道であると確信し、中国共産党 や蔣介石とは異なる独自の道を目指した。「一面抵抗、一面平和」の哲学のもと日中和平を唱え奔走したがついに叶わなかった。一時は中国国民党政権のナンバー2であったが、最後には日本側に亡命したために、日本軍に利用され、南京の傀儡政権の元首に立てられた。1944年に名古屋で病死した。
李大釗 (りたいしょう)
新文化運動 の中心的人物、後に中国共産党 の創設者の一人となる。日本のアジア主義が右派の日本主義や皇道主義と結び付き、大陸侵略を正当化するイデオロギーになっていった。李大釗はアジア諸民族の解放と平等な連合によるアジア大連邦の結成を説き、1919年に論文『大亜細亜主義与新亜細亜主義』で旧来の大アジア主義に代わる新アジア主義を掲げてアジア連邦を説いた。
大陸浪人
大陸で政治活動をしていた者たちの総称。征韓論 で大陸に渡った不平士族たちがルーツとされ、日本の欧化政策への反感あるいは現地での利権に食い込むことを狙って、アジア主義や国家主義 に傾倒する者が多かった。そうした大陸浪人の一人である萱野長知は、満州事変時には非公式ながら犬養毅首相の指示で満州返還の含みまで入れた日中和平のための秘密交渉に携わった。
東亜協同体論
1930年代 末(日中戦争初期)、東アジア 地域において民族 ・国家 を超克する協同体の建設を主張したもの。当時の近衛文麿 首相 のブレイン集団である昭和研究会を中心に構想され、三木清 ・蠟山政道 ・尾崎秀実 ・新明正道 らが主要な論者となった。
スバス・チャンドラ・ボース
対英インド独立運動活動家。当初、ドイツと結ぼうとしていたが、対英講和を目論むヒトラーの思惑とのズレやボース自身もドイツのソ連侵攻をみたことによるナチドイツへの不信感から、日本との連帯を図り、日本に移動。自由インド仮政府 を樹立しインド独立を達成することで、東南アジア などにその輪を広げ、アジア人 によるアジア建設を目指そうとした。主に日本軍のマレー半島攻略時に投降した英軍インド兵をもとに日本軍側が組織したインド国民軍の最高司令官に就任、インパール作戦にも同軍を参加させた。日本敗戦後、中国共産党根拠地への脱出を図り、台湾からソ連軍の支配する満州に行こうとしたが、その際の飛行機事故で亡くなる。
マハトマ・ガンディー
非暴力主義 を掲げて、インドをはじめとする植民地 支配民族の独立運動を展開した。
オットー・シュトラッサー
元ナチ党 の最左派 リーダーで後に脱党し黒色戦線 を組織。「反西欧帝国主義 ・資本主義 」の「ナショナル・ボルシェヴィズム 」の立場からインド独立闘争を全面的に支持。
三浦襄
最後まで大東亜共栄圏を理想と信じて行動した日本人 。
平野義太郎
マルクス主義 者であるが、転向 後、中国華北 部での自然村 調査などをへて、1945年に『大アジア主義の歴史的基礎』において、大アジア主義を主張。同書は近年、「日本におけるアジア主義の終着点」とも評価され[ 11] [ 12] 、見直されはじめている。
町井久之(通名。本名:鄭建永)
戦後、活動した右翼 活動家・ヤクザ (任侠世界からはのちに引退し、実業家へ転身)。在日韓国人 でありながらも、大アジア主義を標榜し、反共 ・反北朝鮮 も盛り込んだ思想団体「東声会 (後に東亜会→東亜友愛事業組合と改称)」を設立。「一朝有事に備えて、全国博徒 の親睦と大同団結のもとに、反共の防波堤となる強固な組織を作る」という児玉誉士夫 の呼び掛けで、「東亜同友会」設立構想 にも参画する。
鹿島守之助
参議院議員、鹿島建設 会長。「汎欧州」を掲げる欧州連合の父 クーデンホーフ=カレルギー伯爵 の構想に基づき「汎アジア」を提唱。
田中清玄
戦前に日本共産党 中央委員長から転向し、戦後活動した右翼 活動家・実業家。クーデンホーフ=カレルギー伯爵や鹿島守之助と親しくし、中国 の鄧小平 とインドネシア のスハルト 大統領に「アジア連盟」を提起。
脚注
参考文献
伊東昭雄 編著 『アジアと近代日本 反侵略の思想と運動 』社会評論社 〈思想の海へ「解放と変革」 第11巻〉、1990年2月。ISBN 978-4-7845-3111-0 。http://www.shahyo.com/mokuroku/writings/series/ISBN978-4-7845-3111-0.php 。
井上寿一 『アジア主義を問いなおす 』筑摩書房〈ちくま新書 614〉、2006年8月7日。ISBN 4-480-06318-8 。http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480063182/ 。
栄沢幸二 『「大東亜共栄圏」の思想 』講談社〈講談社現代新書 1279〉、1995年12月20日。ISBN 4-06-149279-9 。https://www.kodansha.co.jp/book/products/0000146741 。
竹内好 編集・解説 編『アジア主義』筑摩書房 〈現代日本思想大系 第9〉、1963年8月。
竹内好『日本とアジア 』加藤祐三 解説、筑摩書房〈ちくま学芸文庫 〉、1993年11月4日。ISBN 4-480-08104-6 。http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480081049/ 。
千坂恭二 「日本的前衛とアジアの大衆――アジア主義の革命と戦争」『情況』第8巻第7号、情況出版、1997年9月、160-174頁。
中島岳志 『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義 』白水社 、2005年4月。ISBN 4-560-02778-1 。http://www.hakusuisha.co.jp/detail/index.php?pro_id=02778 。 - 大佛次郎論壇賞 ・アジア・太平洋賞 「大賞」受賞。
坂野潤治 『近代日本とアジア 明治・思想の実像 』苅部直 解説、筑摩書房〈ちくま学芸文庫 ハ32-2〉、2013年10月10日。ISBN 978-4-480-09576-3 。http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480095763/ 。 - 注記:『明治・思想の実像』(創文社、1977年刊)の改題、加筆訂正。
松本健一 『雲に立つ 頭山満の「場所」 』文藝春秋 、1996年10月15日。ISBN 4-16-352050-3 。http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784163520506 。
松本健一『竹内好「日本のアジア主義」精読 』岩波書店 〈岩波現代文庫 〉、2000年6月16日。ISBN 4-00-600014-6 。オリジナル の2015年8月21日時点におけるアーカイブ。https://web.archive.org/web/20150821092817/http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/60/6/6000140.html 。
三輪公忠 著「アジア主義の歴史的考察」、平野健一郎 責任編集 編『日本文化の変容』講談社 〈日本の社会文化史 総合講座 4〉、1973年。
武藤秀太郎 「平野義太郎の大アジア主義論――中国華北農村慣行調査と家族観の変容 」(PDF)『アジア研究』第49巻第4号、アジア政経学会、2003年10月、44-59頁、ISSN 0044-9237 。
山室信一 『思想課題としてのアジア 基軸・連鎖・投企 』岩波書店、2001年12月14日。ISBN 4-00-023349-1 。オリジナル の2016年3月5日時点におけるアーカイブ。https://web.archive.org/web/20160305033212/http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/1/0233490.html 。
読売新聞西部本社 編『頭山満と玄洋社 大アジア燃ゆるまなざし 』海鳥社 、2001年10月。ISBN 4-87415-365-8 。http://kaichosha-f.co.jp/books/history-and-folk/802.html 。
Huebner, Stefan, Pan-Asian Sports and the Emergence of Modern Asia, 1913-1974. Singapore: NUS Press, 2016.
Saaler, Sven; Koschmann, eds. (2006), Pan-Asianism in Modern Japanese History: Colonialism, Regionalism and Borders (Asia's Transformations) , Taylor and Francis (Routledge ), ISBN 0-415-37216-X
『アジアにおける反西洋主義の政治学─汎イスラム、汎アジア思想における世界秩序観(The Politics of Anti-Westernism in Asia: Visions of World Order in Pan-Islamic and Pan-Asian Thought)』 ジェミル・アイドゥン(Cemil Aydin), Columbia University Press, 2007
『アジア主義は何を語るのか 記憶・権力・価値』 松浦正孝 編著、ミネルヴァ書房、2013.2.
「日本の大アジア主義に対する西洋の反応―満州事変から天羽声明まで」 廣部泉、明治大学人文科学研究所紀要75、p220、2014年3月
関連項目
外部リンク