アトレチコ・ゴイアニエンセ
アトレチコ・ゴイアニエンセ(ポルトガル語: Atlético Goianiense)は、ブラジル・ゴイアス州ゴイアニアを本拠地とするサッカークラブである。正式名称はアトレチコ・クルーベ・ゴイアニエンセ (Atlético Clube Goianiense) 。アトレチコ-GO (Atlético-GO) と表記されることもある。チーム名のゴイアニエンセは「ゴイアス州の」を意味するポルトガル語で、「GO」はゴイアス州の略称である。 チームの愛称・マスコットは竜(Dragão)である。 概要ゴイアスEC、ヴィラ・ノヴァFCと共にゴイアス州を代表するクラブとして知られ、州選手権でも多くの優勝経験がある。 2003年にカンピオナート・ゴイアーノ(州選手権)の2部に降格するも、2005年に1部復帰を果たす。その後、短期間で実力をつけ、2007年には州選手権1部で優勝、2008年にはカンピオナート・ブラジレイロ・セリエCで優勝する。2009年には昇格わずか1年でセリエBの4位に入り、23年ぶりの国内のカンピオナート・ブラジレイロ・セリエA復帰となる昇格を果たす。 歴史設立と初期の歴史1937年4月2日にゴイアニア市で設立された。このクラブは、ゴイアス州で3番目に古いサッカークラブであり、カンピーナス地区を代表する存在として知られている。設立には、初代評議会会長のニカノール・ゴルド、アルベルト・アルヴェス・ゴルド、アフォンソ・ゴルドの兄弟、初代ゴールキーパーのエドソン・エルマノらが関わった。初代会長はアントニオ・アッキオリで、後に命名されたエスタジオ・アントニオ・アッキオリの土地取得に尽力した。 ゴイアス州選手権での成功クラブは1944年に開催された初のゴイアス州選手権で優勝し、州初の公式チャンピオンとなった。この大会には、ゴイアニアEC、ヴィラ・ノヴァFC、ゴイアスEC、カンピナスECが参加していた。 1957年には無敗で州選手権を制し、同年に開催されたトルネイオ・ドス・インヴィクトスでも優勝を果たした。 1971年、クラブはトルネイオ・ダ・インテグラサォン・ナシオナウで優勝し、決勝でAAポンチ・プレッタを破った。この大会は、一部のサッカー史家によって1971年のブラジル選手権セリエBに相当するタイトルとみなされており、クラブは現在、ブラジルサッカー連盟(CBF)に対し公式な承認を求めている。 全国大会での躍進1990年、クラブはカンピオナート・ブラジレイロ・セリエCで優勝し、決勝のPK戦でアメリカ・ミネイロを下した。これがクラブにとって初の全国タイトルとなった。 苦難と復活2000年代初頭、クラブは困難な時期を迎えた。2001年、エスタジオ・アントニオ・アッキオリがショッピングモールの建設のために取り壊される危機に瀕したが、ファンやクラブ幹部の反対運動により計画は中止され、スタジアムは再建された。 2003年には州選手権で最下位となり、翌年の州2部リーグに降格したが、2005年にゴイアス州選手権2部で優勝し、1部復帰を果たした。2006年には州選手権決勝でゴイアスECと対戦し、3万6千人以上の観客が集まったエスタジオ・セーハ・ドウラーダでの試合は、クラブの復活を象徴する一戦となった。 2010年には、23年ぶりにカンピオナート・ブラジレイロ・セリエAに復帰。 2016年にはカンピオナート・ブラジレイロ・セリエBで初優勝を飾り、翌年のセリエA昇格を果たした。 国際舞台と近年の成功2022年、クラブはコパ・スダメリカーナでクラブ史上最高の成績を収めた。2021年のセリエAで9位となり出場権を獲得した同大会では、ホームスタジアムが南米サッカー連盟(CONMEBOL)の基準を満たさなかったため、試合はエスタジオ・セーハ・ドウラーダで行われた。グループFを無敗で首位通過し、決勝トーナメントではパラグアイのクルブ・オリンピア(3度のコパ・リベルタドーレス優勝クラブ)をPK戦で破り、準々決勝ではウルグアイのナシオナル・モンテビデオを4-0の合計スコアで下した。準決勝ではサンパウロFCと対戦し、1stレグを3-1で勝利したが、2ndレグで0-2と敗れ、PK戦の末に敗退した。同年のコパ・ド・ブラジルでも準々決勝に進出し、コリンチャンスに合計4-3で敗れたが、クラブ史上最高の成績を記録した。 2024年、クラブは歴史的な快挙を達成した。ゴイアス州選手権で15連勝を記録し、決勝1stレグは2-0、2ndレグは3-1でライバルのヴィラ・ノヴァを下し3年連続優勝を達成、クラブは通算18回目の州選手権タイトルを獲得した。なお、この試合のチケットは5時間で完売し、スタジアムは満員のサポーターで埋め尽くされた。 タイトル国内タイトル
国際タイトルなし 過去の成績
歴代監督
歴代所属選手→詳細は「Category:アトレチコ・ゴイアニエンセの選手」を参照
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