アナンデイル=ハートフェル伯爵 Earl of Annandale and Hartfell
紋章記述
Arms :Argent a Saltire Sable on a Chief Gules three cushions Or Crest :A Winged Spur Or Supporters :Dexter: a Lion Argent armed and langued Azure crowned with an Imperial Crown Or; Sinister: a Horse Argent furnished Gules
創設時期 1662年 4月23日 (勅許状によって1643年 3月18日 創設を認める先官礼遇あり。)創設者 チャールズ2世 貴族 スコットランド貴族 初代 初代伯ジェームズ・ジョンストン (英語版 ) 現所有者 11代伯パトリック・ホープ=ジョンストン 相続人 ジョンストン卿デイヴィッド・ホープ=ジョンストン 相続資格 本文を参照。 付随称号 ジョンストン卿 現況 存続 モットー 常に備えよ (Nunquam Non Paratus)伯爵家当主はジョンストン氏族長の地位、アナンデイル家令及びロックメイヴン城代職を世襲。
アナンデイル=ハートフェル伯爵 (英 : Earl of Annandale and Hartfell )はイギリスの伯爵 、貴族 、スコットランド貴族 爵位。二度創設されており、(第1期)のマレー家は爵位が途絶えたが、(第2期)のジョンストン家は現在も存続する。ジョンストン家は1701年にアナンデイル侯爵 にまで昇ったが、第3代アナンデイル侯爵ジョージ・ベンプド が没すると、19世紀に爵位をめぐって一族が争った。このときは認められなかったが、1985年に子孫の代にアナンデイル伯爵 のみ再興を認められた。
歴史
マレー家に対する叙爵
ジョン・マレー (英語版 ) (?-1640) は、ジェームズ6世 付寝室係やフォークランド宮殿 管理官を務めた廷臣である[ 1] 。彼は1622年 6月28日 にスコットランド貴族 としてアナンド子爵 (Viscount of Annand) 及びロッホメイヴンのマレー卿 (Lord Murray of Lochmaben) を授けられた[ 1] [ 2] 。さらに1624年頃にはアナンデイル伯爵 (Earl of Annandale) に昇叙したほか、あわせてティニンガムのマレー卿 (Lord Murray of Tynningham) に叙されている[ 1] [ 2] 。
その子ジェームズ(?-1658) は父から爵位を継承したが、彼には子がなかったため上記4つの爵位はすべて廃絶した[ 1] [ 2] 。ただし、彼が親族から継承したストーモント子爵 のみは遠縁のデイヴィッド・マレー に相続されている[ 3] [ 4] 。
ジョンストン家への複雑な叙爵
廃墟と化した居城ロッホメイヴン城
廷臣ジェームズ・ジョンストン (英語版 ) (?-1653) はイングランド内戦 期を騎士党 派として過ごし、やがて三王国戦争 下のフィリップホーの戦い で敗れた人物である[ 5] 。彼は1633年 6月20日 にロッホウッドのジョンストン卿 (Lord Johnstone of Lochwood) を授けられたのち、1642 /3年 3月18日 にはハートフェル伯爵 (Earl of Hartfell) 及びロッホウッド、モファットデイル、エヴァンデイルのジョンストン卿 (Lord Johnstone of Lochwood, Moffatdale and Evandale) に叙された[ 註釈 1] [ 6] [ 7] 。彼ののちは同名の息子ジェームズが爵位を襲った[ 7] 。
2代伯ジェームズ(?-1672) は1660 /1年 2月13日 にハートフェル伯爵以下を一度王冠に返還のうえ、「アナンデイル伯爵(Earl of Annandale) [ 註釈 2] 」及びロッホウッド、モファットデイル、エヴァンデイルのジョンストン卿 (Lord Johnstone of Lochwood, Moffatdale and Evandale) として再叙爵を受けた[ 8] 。
ただし、勅許状には付帯条件があり、「①伯爵位を統合扱いして『アナンデイル=ハートフェル伯爵 』と呼称すること、②先官の礼をもって1643年3月18日の創設とみなすこと、③継承条件は男系男子であること」が定められていた[ 8] 。
この2つの爵位の承継規定は1662年 4月23日 にさらに拡張されて、女系による継承もあわせて認めるものとなる[ 註釈 3] [ 8] 。
爵位をめぐって争う一族
初代アナンデイル侯爵ウィリアム・ジョンストン
伯爵家の領地アナンデイル地方をハートフェルから眺める。
その息子であるウィリアム・ジョンストン (1664-1721) はスコットランド枢密院 (英語版 ) やスコットランド国務大臣 (英語版 ) を歴任した政治家である[ 9] [ 10] 。彼は1701年にアナンデイル侯爵 (Marquess of Annandale) に陛爵するとともに、ハートフェル伯爵 (Earl of Hartfell) 、アナンド子爵 (Viscount of Annand) 及びロッホウッド、ロッホメイヴン、モファットデイル及びエヴァンデイルのジョンストン卿 (Lord Johnstone of Lochwood, Lochmaben, Moffatdale and Evandale) の爵位を授けられている[ 註釈 4] [ 9] [ 10] 。初代侯ののちはその子ジェームズが爵位を相続した。
2代侯ジェームズ (1687-1730) は1726年に継母の子供を財産継承から外すべく、すべての爵位を返還、再叙爵 を受けている[ 10] [ 11] 。彼が生涯未婚のままナポリ で死去すると、爵位は異母弟ジョージに相続された[ 9] [ 10] 。
しかし、3代侯ジョージ (1720-1792) も子のないまま死去したため、「1701年爵位群」はことごとく廃絶した一方、残る爵位はすべて休止 した[ 12] 。
3代侯の死後、残された子孫たちが数度にわたりアナンデイル侯爵位の再興をかけて、爵位回復を貴族院に申請した。
まず1794年に、3代侯の又甥にあたる第3代ホープトン伯爵 (英語版 ) が爵位の回復を訴え、以降その子孫らが1825年まで請願をつづけた[ 12] 。
さらに親族の第7代準男爵サー・フレデリック・ジョンストン (英語版 ) も1805年に同様の訴えを起こした[ 12] 。続いて、親族ジョン・グディンジ・ジョンストン が1830年と1839年の二度にわたり貴族院 に訴え出た[ 12] 。しかし一連の請願は結局、1844年に貴族院によりことごとく退けられた。
1844年以降もジョンストン一族は懲りずに請願を続け、上記の三系統が1876年になって再び請願を申し出た。訴え出たのは、地主ジョン・ジェイムズ・ホープ=ジョンストン 、政治家・馬主の第8代準男爵サー・フレデリック・ジョンストン 、医師エドワード・ジョンストン (英語版 ) の3人だったが、貴族院は1881年に「請願者の主張はいずれも決定的な証拠がない」として再び訴えを退けた[ 12] [ 13] 。
ジョンストン家、伯爵位を回復する
第3代ホープトン伯爵の女系子孫にあたるパトリック・ホープ=ジョンストン (1941-) は、休止 状態にあった爵位回復の請願を行った[ 8] [ 14] 。その結果、1985年に請願が認められて、翌年には「第11代アナンデイル=ハートフェル伯爵」として貴族院より招集、193年ぶりに爵位の回復を果たした[ 8] [ 14] [ 15] 。
この際に、貴族特権委員会 は1660年頃の勅許状による爵位継承を拒否して、1662年 4月23日 付与の女系相続を認める特別継承規定に基き、スコットランド貴族 爵位「アナンデイル=ハートウェル伯爵」の名で回復を決定した[ 8] 。この委員会決定は、「1660年頃に創設された伯爵位とは別に、1662年の継承規定拡大に際して新たな伯爵位が新設されたこと。したがって第3代アナンデイル侯爵までの歴代当主は2種類の『アナンデイル=ハートフェル伯爵』を保持していたこと」を意味しており、これに基づけば、前者は現在も休止状態にある[ 8] 。
彼が2020年現在も伯爵家現当主である。
現当主の保有爵位 / 地位
現当主である第11代アナンデール=ハートフェル伯爵パトリック・ホープ=ジョンストン は、以下の爵位を有する[ 8] 。
第11代アナンデイル=ハートフェル伯爵 (11th Earl of Annandale and Hartfell) (1662年 4月23日 の勅許状によって1643年 3月18日 創設とみなす先官礼遇を認めるスコットランド貴族 爵位)
第11代ロッホウッド、モファットデイル及びエヴァンデイルのジョンストン卿 (11th Lord Johnstone of Lochwood, Moffatdale and Evandale) (1662年4月23日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
アナンデイル=ハートフェル伯爵ホープ=ジョンストン家は、以下の地位及び職責を世襲する[ 8] 。
ジョンストン氏族長 (英語版 ) (Chief of the Name and Arms of Johnstone)
アナンデイル家令 (Hereditary Steward of Annandale)
ロックメイヴン城主 (Hereditary Keeper of the Castle of Lochmaben)
マレー家
アナンデイル伯爵(1625年)
ジョンストン家
第2代アナンデイル侯爵 ジェームズ・ジョンストン
ハートフェル伯爵(1643年)
アナンデイル=ハートフェル伯爵(1660年及び1662年)
アナンデイル侯爵(1701年)
アナンデイル=ハートフェル伯爵(1662年)
これ以降の歴代伯爵は11代伯に至るまではデ・ジュリ としての当主 であるため、括弧書きとする。
爵位の法定推定相続人 は現当主の息子であるジョンストン卿(儀礼称号 )デイヴィッド・パトリック・ウェントワース・ホープ=ジョンストン。
法定推定相続人の法定推定相続人はその息子であるマスター・オブ・ジョンストン(儀礼称号)パーシー・ジョン・ウェントワース・ホープ=ジョンストン(2002- )。
脚注
註釈
^ これら3つの爵位はすべてスコットランド貴族爵位であり、いずれも男子への継承を求めるもの。
^ 与えられた爵位は「アナンデイル伯爵 」だが、勅許状によってその呼称が永遠に「アナンデイル=ハートフェル伯爵 」とされるべきと定められているため、強調なしの表記とする。
^ 女子による継承の場合は長女を優先するほか、最終的にはジョンストンの姓名と紋章を受け継ぐ譲受人にまで相続を認めるきわめて広範な特別規定である。
^ 一連の爵位はすべてスコットランド貴族爵位であり、男子を相続人とするもの。以下、『1701年爵位群 』と呼ぶ。
出典
^ a b c d Paton, Henry (1894). “Murray, John (d.1640)” . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 39. London: Smith, Elder & Co . p. 380.
^ a b c “Annandale, Earl of (S, 1625 - 1658) ”. www.cracroftspeerage.co.uk . 2020年5月22日閲覧。
^ Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc . Wellesley College Library. London, Dean. (1921). p. 608. https://archive.org/details/debrettspeeraget00unse
^ “Stormont, Viscount of (S, 1621) ”. www.cracroftspeerage.co.uk . 2020年5月8日閲覧。
^ Anderson, William (1867). The Scottish Nation . vol. I . Edinburgh: A. Fullarton & Co.. pp. 140
^ Douglas, Sir Robert (1904). Sir James Balfour Paul . ed. The Scots Peerage . vol. I . Edinburgh: David Douglas. pp. 254–259
^ a b “Hartfell, Earl of (S, 1643 - 1661) ”. www.cracroftspeerage.co.uk . 2020年5月22日閲覧。
^ a b c d e f g h i “Annandale and Hartfell, Earl of (S, 1662) ”. www.cracroftspeerage.co.uk . 2020年5月22日閲覧。
^ a b c Cokayne, George Edward ; Gibbs, Vicary , eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 166– 167.
^ a b c d “Annandale, Marquess of (S, 1701 - 1792) ”. www.cracroftspeerage.co.uk . 2020年5月22日閲覧。
^ Wilkinson, David (2002). “JOHNSTON (JOHNSTONE), James, Lord Johnston (c.1687-1730).” . In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline ; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年7月27日閲覧 .
^ a b c d e Cokayne, George Edward ; Gibbs, Vicary , eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 167– 168.
^ Boase, George Clement (1892). “Johnstone, Edward” . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 30. London: Smith, Elder & Co . p. 74.
^ a b “Dormant Peerages ” (英語). Debrett's Official Wbsite . Debrett's. 2020年5月16日閲覧。
^ “No.50424 ”. The Gazette 7 February 1986. 2020年5月16日閲覧。
関連項目