アニマ・アニムス
『アニマ・アニムス』(ANIMA・ANIMUS)は、山下久美子の7thスタジオ・アルバムで、1984年5月21日に日本コロムビアから発売された。 概要前作から約9か月ぶりのスタジオ・アルバム。 制作山下のディレクターだった福岡智彦は、当時、サンプリングやミュージックシーケンサーを使用したコンピュータプログラミングなどの技術が急速に進化し、音楽の創り方が大きく変化していくのを感じたうえで、どこか気負いもしていたという[1]。また、山下も「『赤道小町ドキッ』路線でずっといくのは難しい」と感じていたといい、「その路線を維持していくには、ずっと細野晴臣さんにお願いしないと難しいなと。なかなか『赤道小町ドキッ』は超えられないんですよ。それでちょっと反骨精神がでちゃって」と語っている[2]。 そこで、レコーディングエンジニアに飯泉俊之、アレンジャーにベーシストの後藤次利をそれぞれ起用し、アルバム制作を始めた。福岡はアレンジャーの後藤に「思い切りやってください」と伝えた結果「ほんとに思い切り振り切った、まるで実験のようなレコーディングが始まった」と語っている[1]。 このアルバムを売り出す際、当時としてはかなり前衛的なサウンドだったためか、日本コロムビアの宣伝担当(当時)だった渡部洋二郎から「おまえ、こんな売りにくい音作ってどうするつもりだ。この野郎!」と言われたという[1]。実際に、初めてこのアルバムを聴いたファンは「あまり聞いたことのない音楽」「リズムも複雑で、ライブでもどうやってノッていいのかわからない」など困惑し[3]、山下曰く「それまで振り向かなかった人が振り向くとかね。逆にそれまでずっと見てくれていた人が離れるとか。そういう色んな面白い現象がありました」とのちにMusicVoiceのインタビューで語るなど[2]賛否両論が巻き起こり[4]、山下も「申し訳ないなと思いながら、やってましたけどね」と語っている[2]。のちに、福岡は「今聴いてもなかなかカッコいいと思います。今聴いたほうがカッコいい、と言うほうがいいのかもしれません」と評価し[1]、山下も「20年くらい早かったアルバム」と語っている[2]。 アルバムジャケット当時、日本コロムビアの宣伝担当だった渡部洋二郎が「こうなったらオレが企画を作るしかないだろう」と立ち上がり、小説家で放送作家の景山民夫に演出を依頼し、ミクロネシア連邦のポンペイ島でプロモーションビデオの撮影と同時に、アルバムのジャケットの撮影も行った[1]。プロモーションビデオは、1984年6月21日に『黄金伝説』というタイトルで発売された。 収録曲SIDE A
SIDE B
楽曲解説SIDE A
SIDE B
参加ミュージシャン
関連項目脚注注釈出典
外部リンク
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