アフガニスタンの国章
アフガニスタンの国章(アフガニスタンのこくしょう)は、ターリバーンが自称するアフガニスタン・イスラム首長国で用いられる徽章である。1996年の建国と共に制定された。コーランやシャハーダといったイスラム教の要素が多く含まれている。また、歴代の国章から小麦の穂、ミフラーブを継承している。 アフガニスタン・イスラム共和国の国章
2004年1月4日に制定されたアフガニスタン・イスラム共和国の徽章である。アフガニスタン憲法19条でその形について定められている。2013年に一部修正された。 構成要素
歴代の国章君主制 (1826年 - 1973年)1826年に建国されたアフガニスタンの君主制国家は、アフガニスタン首長国(1835年 - 1926年)、イギリス保護国(1880年 - 1919年)、アフガニスタン王国(1926年以降)と変遷し、1973年のクーデターまで続いた。
共和制・人民民主党政権 (1973年 - 1992年)1973年に王政を打倒して樹立されたアフガニスタン共和国(ムハンマド・ダーウード政権)の国章は、最初の1年間は王政時代の国章からイスラム暦の独立年(西暦換算では1919年)を除いたものであった。1974年からはデザインを一新した。 1978年のクーデターによってダーウードは処刑されアフガニスタン人民民主党による社会主義国家、アフガニスタン民主共和国が樹立された。最初の国章は共産主義的なデザインに、中央に「ハルク (ペルシア語: خلق、人民の意)」と描かれていた。これは党内派閥のハルク派(Khalq)が主導権を握っていたことにも影響している。しかし1979年の嵐333号作戦によってハルク派は排除され、新たにパルチャム派が主導権を握った。これに伴い国章は変更された。1987年、新憲法によって国名を「アフガニスタン共和国」へ改め、脱共産主義が進められた。国章からは共産主義の象徴である赤い星が取り除かれた。
ムジャーヒディーン、ターリバーン政権 (1992年 - 2001年)1992年に反政府勢力のムジャーヒディーンが首都カーブルへ入城し、人民民主党政権は崩壊した。ムジャーヒディーンらはアフガニスタン・イスラム国の成立を宣言し、国章は王政時代を下地に剣のサポーターといった新たな要素を加えたものに変更された。 ムジャーヒディーンらは決して一枚岩ではなく、主導権争いが続いていた(アフガニスタン紛争 (1989年-2001年))。その混乱の中でターリバーンが勢力を伸ばし、1996年にカーブルへ入城した。ターリバーンはアフガニスタン・イスラム首長国の成立を宣言し、国章は変更された。なおアフガニスタン・イスラム国政府は首都陥落後も存続はしており、2001年までは二重政府状態が続いた。 2001年9月のアメリカ同時多発テロ事件発生後、アメリカ合衆国率いる有志連合が参戦しターリバーン政権は崩壊した。その後は2001年12月のボン合意まではアフガニスタン・イスラム国が事実上の政府として機能していた。なおターリバーンは首都陥落後もアフガニスタン・イスラム首長国を自称し続けている。
ボン合意以降 (2002年 - 2021年)ボン合意によって暫定移行政府が樹立され、2004年にアフガニスタン・イスラム共和国が成立した。国章は王政時代とデザインが酷似している。 2021年ターリバーン攻勢によってアフガニスタン・イスラム共和国政府は崩壊し、ターリバーン政権(アフガニスタン・イスラム首長国)が復活した。 関連項目脚注
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