アベディ・ペレ
アベディ・ペレ(Abédi Pelé、1964年11月5日[1] - )は、ガーナの元サッカー選手。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。元ガーナ代表。 経歴1964年11月5日にキビで誕生、ドメで育ったとされるが、あくまでもプロファイル上の経歴で、実際の年齢も子供の頃の詳細も不明である[2]。12歳の時、グレイト・ファルコンズというクラブで本格的にサッカーを始め、16歳の時、 レアル・タマレ・ユナイテッドでプロ入りを果たす[2]。ここでの2シーズン、セカンドストライカーやプレーメーカーのポジションで46試合で21ゴールを決めるなど、評価を高めた[2]。国外にも活躍が知られるようになり、アル・サッド、チューリッヒでプレーしたが、その後は母国に帰還した[2]。 1986-87シーズン、当時フランス2部のニオールのトライアルを受け、入団すると、レベルの高いプレーを披露し、34試合で12得点をあげた[2]。 1987年、当時同じく2部のミュルーズが獲得、ここでも活躍を見せると、11月に大富豪ベルナール・タピがオーナーを務めるオリンピック・マルセイユが獲得した[2]。選手層の厚さのため、2シーズンの間、リールレンタル移籍に出された[2]。リールでは、2シーズンで61試合で16得点をあげるなど、1部リーグで十分通用することを証明した[2]。1990-91シーズン途中にベルギー人のレイモン・ゲタルスが監督に就任すると、レギュラーに定着、重宝され[3]、ジャン=ピエール・パパン、クリス・ワドルとで魅惑のトライアングルを形成[3]、UEFAチャンピオンズカップにおいて準々決勝で当時最強と言われたACミランに競り勝ち、準決勝のFCスパルタク・モスクワ戦では1stレグ、2ndレグで共に1ゴールを挙げて[4]、チームを決勝に導いた[3]。 1992-93シーズン、UEFAチャンピオンズリーグ決勝でコーナーキックからバジール・ボリの決勝ゴールをアシスト[2][5][4]、ACミランを1-0で破り、優勝を果した[3]。これらの活躍で1991年から3年連続でアフリカ年間最優秀選手を受賞した。1991年のFIFA最優秀選手賞投票では10位、1992年のFIFA最優秀選手賞投票でヨーロッパ人以外で最高の9位タイを記録した。1994-95シーズンからはトリノでプレー、同シーズンは、32試合で10ゴールを決めるなど、ファンの人気を獲得した[2][6]。1995-96シーズン、アフリカネーションズカップ出場の為に欠場したことも影響し、チームは来期のセリエB降格が決定した[2]。 その後、1860ミュンヘンで2シーズン、アル・アインで2シーズンプレーして現役を引退した[2]。 またガーナ代表では1982年に17歳で初選出された[2]。以来1998年に代表から引退するまで73試合に出場し33得点の記録を挙げた。しかしFIFAワールドカップ本大会出場は遂に成し遂げる事は出来なかった。 引退後、母国にナニアFCというクラブを創設した[2]。2004年にFIFA100(ペレが選ぶ偉大なサッカー選手100人)に選出[2]。 その他
タイトルクラブ
代表
個人
脚注
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