アラカン・ロヒンギャ・イスラム戦線
アラカン・ロヒンギャ・イスラム戦線(アラカン・ロヒンギャ・イスラムせんせん、Arakan Rohingya Islamic Front:ARIF)は、ミャンマーのラカイン州で活動していた反政府武装組織である。 活動1986年から1987年にかけて、ロヒンギャの武装組織であるロヒンギャ連帯機構(RSO)、ロヒンギャ愛国戦線(RPF)がともに分裂し、、元RSO議長・ヌルル・イスラーム率いるRSOの一派とシャビル・フセインという人物が率いるRPFの一派が同盟を組んで、アラカン・ロヒンギャ・イスラム戦線(ARIF)を結成し、ヌルル・イスラームが議長に就任した[2]。 ARIFの目的は、過去のロヒンギャの武装組織と同様、アラカン北部にロヒンギャの自治区を設立することで、ヌルル・イスラムは、「(武装勢力の)多国籍」連合と「連邦主義に基づく繁栄した福祉国家、そこでは平和が永遠に続く」と述べた。そのためにARIFは他の民主派政党や少数民族武装勢力との協力を模索した[2]。 しかし8888民主化運動後の混乱期、1980年代後半から1990年代前半にかけて、ARIFはRSOとともにミャンマー・バングラデシュ国境地帯で軍事訓練を開始した。この動きはミャンマー軍(以下、国軍)の警戒心を呼び起こし、1991年から1992年にかけて、国軍はARIF、RSO掃討を目的とした「清潔で美しい国作戦」を発動、約25万人のロヒンギャ難民がバングラデシュに流出する事態となった[3]。この後、ARIFは軍事活動を縮小し、政治ロビー活動に専心した[4]。 1995年、ロヒンギャの武装勢力を結集すべくARIFとRSOが再合併してロヒンギャ民族同盟(Rohingya National Organisation:RNO)を結成し、翌1996年、RNOはロヒンギャ民族評議会(RNC)とアラカン・ロヒンギャ民族機構(ARNO)の2つの組織に発展解消された[5]。 脚注注釈
出典
参考文献
関連項目 |
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