アレクサンドリアのディオファントス![]() ![]() アレクサンドリアのディオファントス(ギリシャ語: Διόφαντος ὁ Ἀλεξανδρεύς, ラテン文字転写: Dióphantos ho Alexandreús、英語: Diophantus of Alexandria、生没年不詳、推定生年 200年 - 214年、推定没年 284年 - 298年)は、ローマ帝国時代のエジプトの数学者。ディオファントス方程式やディオファントス近似は彼の名にちなむ。「代数学の父」と呼ばれることもある。 略歴エジプトのアレクサンドリアに住んでいたということ以外は、彼の人物についての詳細は不明。ディオファントスの著した13巻に及ぶ『算術』 ("Arithmetica") が有名である。同書が翻訳された16世紀以降のヨーロッパにおける代数学発展に深く影響した。現存している同書のギリシャ語版は6巻分のみ、アラビア語版は4巻分である。また、多角数についての著書もある。 ![]() フェルマーの最終定理を含めてフェルマーが余白に書き込みをしたのは、1621年刊行のバシェによるラテン語版『算術』である。フェルマーの書き込みが知られるようになったのは、1670年にフェルマーの息子のサミュエルが書き込みを追加した『算術』を出版してからである。 ディオファントスの墓碑銘「ディオファントスの墓碑銘」として知られる問題がある。
簡単な一次方程式を立てて解くと、84歳という解が得られる。 また、条件より12と7の公倍数であることが分かるため、その中で年齢としては最も現実的な数字である84歳が答えであろうと、即座に推測ができる。 なお、「12分の1」が“頬ヒゲを蓄えるまでの期間”を表して「7分の1」の後に来る話もあるが、解は変わらない。 この墓碑銘は『ギリシア詞華集』に収録されている。 ディオファントスの功績ディオファントスが数学の歴史に大きな影響を与えたのは、数論の分野においてである。彼は、解を個別の数値を用いた例で与えたとはいえ、個々の数値にとらわれるのではなく、問題をより一般的な視点から研究した。たとえば
ディオファントスが与えた解は、41, 80および320である。(中略) ディオファントスが解いた方程式で最も知られているものは、ピタゴラスの定理から派生するものだ。a2 + b2 = c2 を成り立たせる整数の組 a, b, c をピタゴラス数と呼ぶが、ディオファントスは、可能な解すべてを見出している。彼が与えたレシピは、任意の整数2つの組について、それらの平方の差、それらの積の2倍、それらの平方和をとるというものだ。得られた3つの数は、つねにピタゴラス数となる。
著作
脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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