アンドレイ・メドベデフ
アンドレイ・メドベデフ(ウクライナ語:Андрій Медведєв; ラテン文字表記:Andriy Medvedev, 1974年8月31日 - )は、ウクライナ・キエフ出身の男子プロテニス選手。1999年全仏オープン男子シングルス準優勝者。シングルス自己最高ランキングは4位。ATPツアーでシングルス11勝を挙げた。ダブルス優勝はない。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。身長193cm、体重93kgの長身選手。 来歴母親の手ほどきで、8歳からテニスを始める。姉のナタリア・メドベデワもプロテニス選手で、WTAツアーで世界ランキング23位を記録した。1986年4月26日に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故により、同国内でテニスの屋外練習を続けていた当時11歳の彼や姉が健康上の影響を被った、という説も語られている。 1991年にプロ入りした。4大大会は1992年全仏オープンで初出場し、いきなり4回戦まで進出する。1992年6月のヒポ・グループ・テニス国際でツアー初優勝を果たす。1993年全仏オープンでベスト4進出、準決勝でセルジ・ブルゲラに敗れる。ブルゲラには翌1994年の同大会でも、準々決勝で敗れた。モンテカルロ・マスターズとハンブルク・マスターズで優勝し1994年5月16日付のランキングで自己最高のシングルス4位を記録している。 それからしばらく低迷期が続き、1999年全仏オープンでは世界ランキング100位から決勝に進出した。これは同大会の男子シングルス決勝進出者でも、史上最低順位の記録である。その決勝戦では第13シードのアンドレ・アガシから最初の2セットを6-1, 6-2で奪ったが、第3セットの土壇場からアガシが反撃を開始し、メドベデフは後半の3セットを4-6, 3-6, 4-6で落として準優勝に終わった。アガシはこの優勝により、宿願のキャリア・グランドスラム達成した。この年の全仏オープンは期間中の雨が多く、メドベデフは“最も遅いクレーコート”の得意な選手として勝ち上がったと言われた。 メドベデフは2001年のシーズンを最後に現役を引退し、サンクトペテルブルク・オープンが最後の試合になった。 ATPツアー決勝進出結果シングルス: 18回 (11勝7敗)
ダブルス: 1回 (0勝1敗)
4大大会シングルス成績
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
外部リンク
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