ウィリアム・ナイト
ウィリアム・ナイト(William Knight、1979年1月20日 - 2018年7月8日)は、アメリカ合衆国出身のバスケットボール選手、指導者である。ポジションはガード・フォワード。2009年、bjリーグの浜松・東三河フェニックスに入団し、リーグ優勝に貢献した。選手引退後は指導者に転身した。 来歴カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)出身で、埼玉ブロンコスのヘッドコーチを務めたナタリー・ナカセとは同期である。UCLA卒業後、フランスなど欧州を中心にチームを転々とする。 2009年、bjリーグの浜松・東三河フェニックスに入団(背番号33)。bjリーグオールスターゲームに主催者推薦で出場。レギュラーシーズン個人得点ランキングで9位、3ポイントシュート成功率3位、フリースロー成功率7位。チームの初優勝にも貢献する。 2010年オフ、大阪エヴェッサに移籍(背番号3)。10月に月間1試合平均21.5得点をマークして月間MVPを受賞。オールスターゲームにブースター投票による選出で2シーズン連続出場。3Pコンテストにも出場して準優勝。チームのシーズン3位に貢献した後、契約満了で退団。 2011年シーズン途中にJBL2・兵庫ストークスへ移籍した(背番号33)[1]。ナイトはポイントフォワードとして2011-12シーズン1試合平均27.2得点、ブロックショット1.1本で両部門のタイトルを獲得。ベスト5に選出された。 JBL2 2012-13シーズンはチームのJBL2制覇に貢献。2シーズン連続でベスト5に選出された。 2013-14シーズンにチームがNBLに参入した後も継続して契約。 2015-2016シーズンからパスラボ山形ワイヴァンズに移籍し、1試合平均21.1得点をあげる。2016-17シーズンも山形と契約したが、シーズン開幕前の9月23日、ナイトの希望により契約を解除した[2]。 その後はフェニックス・サンズの下部組織ノーザンアリゾナ・サンズのスタッフとなり選手の指導にあたった。未成年に性的虐待などの罪で2018年6月13日に逮捕される。刑が確定すると懲役50年の罪となるが、保釈金10万ドルを支払い、追跡装置を着装された上、仮釈放される。[3]しかし2018年7月8日の早朝、フェニックスの路上で遺体となって発見される。ナイトは発見される直前、YouTubeに遺言とみられるメッセージを投稿していた[4][5]。 記録
脚注
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