ウィリアム・ホガース
ウィリアム・ホガース(英語: William Hogarth FRSA [ˈhoʊɡɑːrθ], 1697年11月10日 - 1764年10月26日)は、ロココ時代のイギリスの画家。 イギリスは、絵画史の面では長らく不毛の土地であり、ルネサンス期、バロック期を通じてハンス・ホルバイン、アンソニー・ヴァン・ダイクといった外国出身の画家を除いて、見るべき画家はいなかった。イギリス人画家による、イギリス独自の様式をもった絵画が生まれるのはようやく18世紀、ヨーロッパ大陸ではロココ美術が全盛の時であった。ホガースは、そうした18世紀のイギリス画壇を代表する国民的画家である。 生涯教師リチャード・ホガース(Richard Hogarth)の息子として、1697年11月10日にロンドンで生まれ、11月28日に洗礼を受けた[1]。妹に1699年11月23日生まれのメアリーと1701年10月生まれのアン(Ann)がいる[1]。父リチャードは1718年に死去、同年5月11日に埋葬された[1]。最初は銀細工師の弟子として働いたが、父の死去前後に版画家になった[1]。その後、当時の世相を痛烈に風刺した連作絵画で知られるようになる。なかでも欲得ずくの政略結婚とその不幸な結末を描いた『当世風結婚』シリーズが著名である。このほか『娼婦一代』、『放蕩息子一代』などの版画連作が庶民に人気を博し、風刺画の父とも呼ばれた。他にも『残酷の4段階』などの作品がある[2]。ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルクは、1794年から1799年までに出版された『ホガース銅版画詳解』(Ausführlische Erklärung der Hogarthischen Kupferstiche)においてホガース作品の注釈を行っている[3]。 生涯を通して、パグを愛していた。愛犬のトランプは、自身の作品(自画像)にも登場するほどである。人々は、ホガースをパグになぞらえて、いつしかホガースのことを「パグ画家」と呼ぶようになった。家庭では、子どもに恵まれなかった。そのためか、ホガース夫妻は、そろって犬をかわいがった。ホガース夫人は、スパニエルが好きで、なかでもポンペイという名の犬がよく知られている。トランプが亡くなると、ホガースは、再びパグを手に入れ、クラブズと名づけた。 1725年から1728年頃にイングランド首位グランドロッジに加入してフリーメイソンになったが、その後も多くのロッジに加入したという[4]。 宮廷画家、サー・ジェームズ・ソーンヒルの娘ジェーンと駆け落ちして、1729年3月23日に結婚したが、2人は後にソーンヒルと和解した[1]。1764年にホガースが死去すると、遺言状に基づき妻ジェーンが遺産を相続した[1]。ジェーンはホガースの版画を売却することで生活費を賄ったが、やがて売上が落ちると王立芸術院からの40ポンドの年金に頼った[1]。ジェーンは1789年11月13日に80歳で死去、夫の隣に埋葬された[1]。 ギャラリー
関連項目脚注
外部リンクThe Site for Research on William Hogarth (注釈付きのオンライン参考文献) |
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