ウィーン大学
ウィーン大学(ウィーンだいがく、独:Universität Wien)は、オーストリアのウィーンにある総合大学。1365年創立の、ドイツ語圏最古・最大の中世大学である。ルドルフ4世がプラハ・カレル大学に対抗して創立。「ルドルフ4世大学(Alma Mater Rudolphina Vindobonensis)」と当初は呼ばれていた。神聖ローマ帝国が創立した最古の三大大学(カレル大学、ウィーン大学、ハイデルベルク大学)の一角である。 歴史1365年、オーストリア公のルドルフ4世によって創立された。しかし、ローマ教皇ウルバヌス5世はカレル大学の創立者である神聖ローマ皇帝のカール4世の意向や神学部の在り方を巡って、当初は大学を認可しようとしなかった。その後、無事に大学として認められ、1385年には初めての大学棟が建てられた。徐々に神聖ローマ帝国内最高の大学として地位を固め、ヒューマニズム全盛期には、多くの教養人を輩出した。しかし、宗教改革期になると、教皇との距離の近さから勢いに陰りが見えるようになる。加えてペストの大流行や、1529年の第一次ウィーン包囲を経て、学生数は激減した。状況の打開のためには、さらなる教会との結びつきが必要と考えた神聖ローマ皇帝のフェルディナント1世は、1551年にイエズス会を大学に結び付けることにしたが、結果的に、大学側と教会側の争いが激化することとなった。このイエズス会と大学の対立は、18世紀中頃になって、マリア・テレジアが大学を君主制の傘下に入れる判断を下すまで続いた。神学部偏重による長い低迷期を抜け出したウィーン大学は、その後のヨーゼフ2世の治世においてもさらなる学内改革を行い、医師や官吏の教育に力を入れ、プロテスタントやユダヤ人の入学も許可することとなった。19世紀中頃から、哲学、心理学、医学、経済学、歴史学、民族学、法学、音楽の各分野において新機軸となる先駆的な研究が行われ、それぞれでウィーン学派が形成された[3]。 組織学部・研究所は以下のような構成になっている。 学部
センター
尚、1365年創立のウィーン大学医学部は、2004年に独立してウィーン医科大学となっているが、校舎は、ウィーン大学医学部時代のままである。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 評価特に人文・社会科学系統や数学に強く、非英語圏の大学の中では毎年一桁台の順位に位置づけられる。
関係者著名な出身者ノーベル賞受賞者
ウィーン大学で教鞭をとった出身者
その他の出身者
脚注
関連項目
外部リンク |
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