エジマー・エスカローナ
エジマー・エドゥアルド・エスカローナ(Edgmer Eduardo Escalona, 1986年10月6日 - )は、ベネズエラ・ラ・グアイラ州ラ・グアイラ出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。 経歴ロッキーズ時代2004年9月8日にコロラド・ロッキーズと契約。 2006年、ルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・ロッキーズでプロデビュー。14試合に登板し、0勝2敗、防御率7.11だった。 2007年はルーキー級キャスパー・ロッキーズで18試合に登板し、1勝1敗1セーブ、防御率4.05だった。 2008年はA級アシュビル・ツーリスツで44試合に登板し、6勝2敗1セーブ、防御率3.22だった。 2009年はA+級モデスト・ナッツで28試合に登板し、2勝0敗、防御率2.48だった。6月にAA級タルサ・ドリラーズへ昇格。31試合に登板し、1勝2敗4セーブ、防御率2.45だった。オフの11月20日に40人枠入りした[1]。 2010年3月5日にロッキーズと1年契約に合意。AAA級コロラドスプリングス・スカイソックスで57試合に登板し、3勝5敗1セーブ、防御率6.00だった。9月3日にメジャー初昇格を果たし、9月10日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦でメジャーデビュー。10点リードの8回表から登板し、1回を投げ無安打無失点に抑えた。この年は5試合に登板し、防御率1.50だった。 2011年3月3日にロッキーズと1年契約に合意。3月14日にAAA級コロラドスプリングスへ異動した[2]。7月1日にメジャーへ昇格[3]。同日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で9点リードの9回から登板し、1回を1安打無失点に抑えたが、7月2日にAAA級へ降格[4]。7月31日に再昇格した[5]。8月23日に回旋筋腱板損傷のため15日間の故障者リスト入りし[6]、9月9日に復帰した[7]。この年は14試合に登板し、防御率1.75だった。 2012年3月3日にロッキーズと1年契約に合意。4月1日にAAA級コロラドスプリングスへ異動した[8]。4月17日にメジャーへ昇格[9]。5月8日にAAA級へ降格した[10]。8月4日に再昇格した[11]が、8月6日に右肘を故障し、8月11日に15日間の故障者リスト入りした。9月2日に復帰した[12]。この年は22試合に登板し、0勝1敗、防御率6.04だった。 2013年3月5日にロッキーズと1年契約に合意[13]。初めて開幕ロースターに名を連ねた[14]。6月10日に右肘を故障し、6月11日に15日間の故障者リスト入りした[15]。7月2日に復帰[16]。8月23日にDFAとなり[17]、8月29日にAAA級コロラドスプリングスへ降格した。この年は37試合に登板し、1勝4敗、防御率5.67だった。11月5日にFAとなった。 ロッキーズ退団後2013年11月20日に、ボルチモア・オリオールズと1年契約を結んだ[18]。 2014年3月30日に右肩の故障で60日間の故障者リスト入りし[19]、6月22日に40人枠を外れ、AAA級ノーフォーク・タイズへ降格。6月23日にFAとなった。7月2日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ[20]。9月1日に自由契約となる。 2015年3月6日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結ぶが、4月3日に解雇となる[21]。 メキシカンリーグ時代2015年4月30日にメキシカンリーグのサルティーヨ・サラペメーカーズと契約。オフはベネズエラのウィンターリーグでプレー。 2016年もサラペメーカーズでプレーするが、6月6日にリリースされた[21]。6月13日にモンクローバ・スティーラーズと契約したが、2017年1月10日にリリースされた[21]。 2017年6月22日にラグナ・ユニオン・コットンファーマーズと契約したが、7月10日にリリースされた[21]。 以後はベネズエラのウィンターリーグ(LVBP)でプレーを続けている。 詳細情報年度別投手成績
脚注
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