エディタ・グルベローヴァ
エディタ・グルベローヴァ(Edita Gruberová, エディタ・グルベロヴァー, 1946年12月23日 - 2021年10月18日[1])は、ソプラノ歌手。チェコスロバキア(現在はスロバキア)のブラチスラヴァに生まれる。父親はドイツ系、母親はハンガリー系である。 人物1968年、わずか22歳でブラチスラヴァの歌劇場でデビュー、1970年にはウィーン国立歌劇場と契約、1973年にはザルツブルク音楽祭に出演する。 圧倒的な美声と驚異的な技巧を兼備したコロラトゥーラ・ソプラノ。同時期にデビューした同国人のルチア・ポップ(こちらは反対に母親がドイツ系)がおおむねドイツ・オペラとリートに専心したのに対し、ずっとイタリア・オペラなどに積極的で、特にベルカントでは当代を代表する歌い手の一人である。夫であった指揮者フリードリヒ・ハイダーがそのバックを振ることが多く、彼はオーストリア人にもかかわらずイタリア・オペラのスペシャリスト的存在となっている。 自身の半生を語った自叙伝『うぐいすとバラ』(日本語訳:音楽之友社)があり、後の華々しい活躍からは想像もできない若い頃のグルベローヴァの苦悩を知ることができる。 経歴トゥールーズで開催されたコンクールで優勝した後に1968年、オペラ『セビリアの理髪師』のロジーナ役で、ブラチスラヴァにてオペラへのデビューを果たした。1968年から1970年まで、バンスカー・ビストリツァ、スロバキアのJ・G・タヨフスキー劇場のオペラ・アンサンブルのソリストとして活躍した。Medveckáはひそかにすぐに彼女に接触し、1969年夏、ウィーン国立歌劇場でのオーディションを行った。彼女は『魔笛』の夜の女王を歌い、最初の大きな躍進を遂げた。その後、西欧諸国へ移住することを決めた。その後数年間で、彼女はウィーン国立歌劇場のソリストとなり、特にコロラトゥーラ・ソプラノの役で、世界で最も重要な数々のオペラハウスから招待された。グルベローヴァは夜の女王として、1973年にグラインドボーン音楽祭、1977年にメトロポリタン・オペラにそれぞれデビューした。 1977年、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮の『ドン・カルロ』でザルツブルク音楽祭に初出演。1980年、初来日。1981年、オペラ『リゴレット』のジャン=ピエール・ポネルの映画に出演、ルチアーノ・パヴァロッティと共演。1984年、ベッリーニ『カプレーティとモンテッキ』のジュリエッタ役でロイヤル・オペラ・ハウスにデビュー。他にはツェルビネッタ、ヴィオレッタ、ルチア、コンスタンツェ、マノン(マスネ『マノン』)とオスカル(『仮面舞踏会』)などを演じた。1987年、ミラノ・スカラ座でドンナ・アンナ(『ドン・ジョヴァンニ』)、『連隊の娘』、1990年、ウィーンでドニゼッティ『ロベルト・デヴルー』、1992年、チューリッヒで『セミラーミデ』を演じる。2003年、レパートリーに『ノルマ』を追加し、2008/09年にミュンヘンでも公演する。 自身のCDレーベルであるナイチンゲール・クラシックスから、ドニゼッティの“女王3部作”や他のベルカント・オペラを多数レコーディング、特に後年は完全版の録音を行っている。彼女の撮影されたテレビ放映オペラ出演は『ノルマ』『マノン』『テンダのベアトリーチェ』『ルクレツィア・ボルジア』『シャモニーのリンダ』などがDVDで発売されている。 日本でも多くのオペラ公演、コンサートを行った。 2021年10月18日、スイスのチューリッヒで死去、74歳没[2]。 レコーディング
脚注
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