エドワード・シーモア (第8代サマセット公爵)
第8代サマセット公爵エドワード・シーモア(英語: Edward Seymour, 8th Duke of Somerset、1695年1月17日(洗礼日) - 1757年12月15日)は、イングランド貴族、地主。 生涯第5代準男爵エドワード・シーモアとレティシア・ポパム(Letitia Popham)の長男として生まれ、1695年1月17日に洗礼を受けた[1]。1712年3月15日、オックスフォード大学モードリン・カレッジに入学した[2]。 1740年12月29日に父が死去すると、準男爵を継承した[3]。1741年イギリス総選挙でトーリー党員としてソールズベリー選挙区から選出され、常に野党の一員として投票したが、次の1747年イギリス総選挙では立候補しなかった[1]。 1744年に遠戚である第7代サマセット公爵アルジャーノン・シーモアの息子ジョージが死去すると、公爵がすでに60歳で妻フランシスも40歳を越えたため、エドワード・シーモアがサマセット公爵の爵位を継承する可能性が高まった。そして、1750年2月7日に第7代サマセット公爵が死去すると、エドワード・シーモアが第8代サマセット公爵になった[1][3]。しかし、第7代サマセット公爵は広大な領土を娘エリザベスと甥チャールズ・ウィンダムの間で分割相続させるよう予め遺言を残していたため、第8代以降のサマセット公爵家は大地主ではなくなった。 1751年に王太子フレデリック・ルイスが死去したとき、その葬儀で喪主(Chief mourner)を務めた[1]。また、1752年から1757年までウィルトシャー知事と北トレント巡回裁判官を務めた[1]。1757年12月15日に死去、長男エドワードが爵位を継承した[3]。 家族1716年3月8日、メアリー・ウェブ(Mary Webb、1768年2月23日没、ダニエル・ウェブの一人娘)と結婚、4男1女をもうけた[3]。
脚注
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