エドワード・バルデス
エドワード・エンリケ・バルデス(Edward Enrique Valdez、1980年2月8日 - )は、ドミニカ共和国ペラビア州出身の元プロ野球選手(投手)。 経歴プロ入りとレッズ傘下時代1999年10月にシンシナティ・レッズと契約を結んだ[1]。 2000年と2001年はドミニカン・サマーリーグのDSLレッズでプレー[1]。 2002年は、ルーキー級ガルフ・コーストリーグのGCLレッズで10試合登板、6勝2敗、防御率2.04の成績を挙げ、AA級チャタヌーガ・ルックアウツでも1試合に登板した[1]。 2003年は、A級デイトン・ドラゴンズで19試合登板、11勝3敗、防御率3.72の成績を残した[1]。 2006年は、AA級チャタヌーガで29試合に登板し、7勝10敗、防御率3.89の成績を残したが、10月15日にFAとなった[1]。 ナショナルズ傘下時代2007年3月にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ[1]。この年はAA級ハリスバーグ・セネターズで3試合に登板し、0勝0敗1セーブ、防御率0.00、AAA級コロンバス・クリッパーズで43試合に登板し、2勝5敗2セーブ、防御率4.74の成績を残した[1]。10月29日にFAとなった[1]。 ロッキーズ傘下時代2007年12月21日にコロラド・ロッキーズとマイナー契約を結んだ[1]。 2008年はAA級タルサ・ドリラーズで46試合、AAA級コロラドスプリングス・スカイソックスで4試合に登板し、2球団合計で5勝4敗、防御率4.62の成績を残した[1]。12月3日にFAとなった。 中日時代2009年はマイナー球団には所属せず、ドミニカ国内のアマチュアリーグでプレーした。秋からドミニカ・ウィンターリーグ(LIDOM)に参加中に、視察に訪れた中日ドラゴンズヘッドコーチの森繁和の目に留まり、中日ドラゴンズと契約した。 2010年は8試合に登板したが、1勝3敗、防御率4.91という成績に終わり、10月3日にディオニス・セサルと共に来年度契約を結ばないことが発表され、12日に自由契約公示された[2]。 中日退団後2011年3月17日にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのメキシコシティ・レッドデビルズと契約したが[3]、4月5日に自由契約となった[3]。その後は独立リーグ・ノース・アメリカン・リーグのカルガリー・ヴァイパーズに所属し、14試合登板、6勝3敗、防御率7.23の成績を挙げた。 その後は2015年までリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルでプレーし、冬季にはドミニカン・ウィンターリーグでもプレー。 2016年以降はウィンターリーグに専念し、2017年-2018年シーズンを最後に現役を引退した。 プレースタイル最速140km/h台後半を記録するストレートはカットボールのような変化を伴う。変化球は、スライダーを軸にカットボール・チェンジアップなどを投げ分ける。中でもカットボールは「バルカット」と呼ばれ、かつて同じドミニカ出身のルイス・ポローニャのバットを折ったことが自慢[4]。 詳細情報年度別投手成績
記録
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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