エドワード・ムヒカ
エドワード・ホセ・ムヒカ(Edward Jose Mujica, 1984年5月10日 - )は、ベネズエラのカラボボ州バレンシア出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 経歴プロ入りとインディアンス時代2006年6月21日のシカゴ・カブス戦で2番手として登板し、メジャーデビューを果たした[2]。 パドレス時代2009年4月1日に金銭トレードで、サンディエゴ・パドレスへ移籍した[3]。パドレスでは2年連続して安定した成績を残した。 マーリンズ時代2010年11月13日にキャメロン・メイビンとの1対2のトレードで、ライアン・ウェブと共にフロリダ・マーリンズへ移籍した[4]。 カージナルス時代2012年7月31日にブルペンの補強のためザック・コックスとのトレードで、セントルイス・カージナルスへ移籍した[5]。 2013年はクローザーに定着。7月にはオールスターに初選出された[6]。 10月31日にFAとなった。 レッドソックス時代2013年12月5日にボストン・レッドソックスと2年総額950万ドルの契約に合意し[7]、12月7日に球団が公式に発表した[8]。2014年は主にセットアッパーとして起用されたが、クローザーの上原浩治の休養日や登板回避時には、代わりの抑え投手としてマウンドに上がった[9]。9月には上原が絶不調に陥ったためにクローザーから外れ、代わりにムヒカがシーズン終了までクローザーを務めた[10]。この年は、前半戦は防御率5.45、WHIP1.50と不調気味であったが、後半戦は防御率1.78、WHIP1.22と持ち直し、最終的に4年連続での60試合登板を達成した。 2015年、11試合に投げたのち、5月8日にDFAとなった[11]。 アスレチックス時代2015年5月9日にトレードで、オークランド・アスレチックスへ移籍した[12]。アスレティックス加入後は38試合に投げ、防御率4.81は移籍前より悪化したが、WHIP1.22は移籍前より改善させた。持ち前の制球力は大いに発揮され、与四球率は1.1と低率だった。レッドソックスとの合算では、49試合の登板で防御率4.75・3勝5敗1セーブという成績を残した。11月2日にFAとなった[11]。 アスレチックス退団後2015年12月17日にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[13]。シーズンでは開幕から傘下のAAA級リーハイバレー・アイアンピッグスでプレーした。 2016年5月16日にカンザスシティ・ロイヤルズへ移籍し、傘下のAAA級オマハ・ストームチェイサーズへ配属された。8月10日に自由契約となった[11]。8月19日にミネソタ・ツインズとマイナー契約を結んだ。傘下のAAA級ロチェスター・レッドウイングスに配属されたがメジャー昇格はなく、11月7日にFAとなった[11]。 2017年1月10日にデトロイト・タイガースとマイナー契約を結び、同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[14]。シーズンでは開幕から傘下のAAA級トレド・マッドヘンズでプレーし、8月3日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[15]。8月13日にDFAとなり[16]、15日に40人枠を外れる形でAAA級トレドへ配属された。レギュラーシーズン終了後の10月3日にFAとなった[11]。 2018年1月31日にカージナルスとマイナー契約を結ぶと報じられ[17]、3月15日に正式に契約を結んだ[11]。 2019年はメキシカンリーグのユカタン・ライオンズと契約[18]。シーズン終了後にFAとなった。 投球スタイルかつては90 - 95mphのフォーシームが主体だったが、2011年頃からは平均球速がやや落ちた代わりにツーシームを交える割合が増えた。決め球は84 - 89mphのスプリッター。右打者には82 - 86mphのスライダーも15%程度投げる[19]。 詳細情報年度別投手成績
獲得タイトル・表彰・記録
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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