獲得メダル
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ロシア
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男子 コンバットサンボ
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世界サンボ選手権
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金 |
2003 ロクブリュヌ=カップ=マルタン |
100kg超級
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金 |
2004 プラハ |
100kg超級
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金 |
2006 タシュケント |
100kg超級
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ワールドコンバットゲームズ
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銀 |
2010 北京 |
100kg超級
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エメリヤーエンコ・アレキサンダー(ロシア語: Александр Емельяненко、ウクライナ語: Олександр Ємельяненко、英語: Alexander Emelianenko、1981年8月2日 - )は、ロシアの男性総合格闘家。ロシア連邦共和国ベルゴロド州スタールイ・オスコル出身。ファイトクラブ・アフマト所属。ウクライナ出身の両親の元に生まれ、国籍はロシアだが、民族的にはロシア人ではなくウクライナ人である。
元男性総合格闘家エメリヤーエンコ・ヒョードルの実弟。兄(183cm)を大きく上回る巨体(194cm)に、高いボクシングテクニックと身体能力を併せ持つ。序盤からアグレッシブに攻め込むファイトスタイルで、KO率も高い。ヒョードルも「近い将来、サーシャ(アレキサンダーの愛称)が一番の脅威となるであろう」と話す。
なお、兄ヒョードルと同様日本での表記は母国ロシアと逆で姓・名の順となる。
来歴
2003年、世界サンボ選手権コンバットサンボ100kg超級優勝、アマチュアサンボ公式戦戦績10勝無敗の戦績があるが、それ以前の経歴に関しては、刑務所に収監されていたため、公式上は白紙である。
2003年10月5日、総合格闘技デビュー戦となったPRIDE 武士道でアスエリオ・シウバと対戦し、苦戦したものの終始試合をコントロールし僅差の判定勝ち。デビュー戦を白星で飾った。
2004年8月15日、PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦でミルコ・クロコップと対戦し、左ハイキックでKO負け。「この敗戦は怒りを覚えるほど悔しかった」と本人が話すようにこの敗戦を機に、練習に対する姿勢を改め、ヒョードルに従いトレーニング内容も高度なものをこなすようになった。結果、以前よりも身体が絞り込まれ、スパーリングパートナーも驚くほどに立ち技が上達したと言う[2][3]。
2004年10月9日、M-1 Globalでのカーロス・バヘット戦では判定勝利。その後ジェームス・トンプソン、ヒカルド・モラエス、レネ・ローゼといった巨漢との試合が続くも、すべての試合を30秒かからずKO勝利した。
2005年12月31日、PRIDE 男祭り 2005でオリンピック柔道金メダリストのパウエル・ナツラと対戦し、スリーパーホールドで一本勝ちを収めた。
2006年5月5日、PRIDE 無差別級グランプリ 2006 開幕戦のGP1回戦でジョシュ・バーネットと対戦。序盤は打撃で優勢に立つも、2Rにスタミナ切れを起こし、V1アームロックで一本負け。
2006年9月10日、PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦のリザーブマッチで、かつてのチームメイトセルゲイ・ハリトーノフと対戦し、パウンドでTKO勝ち。
2006年11月12日、オランダで開催された2 Hot 2 Handleでファブリシオ・ヴェウドゥムと対戦し、肩固めで一本負け。
2007年4月14日、初参戦となったBodogFightでエリック・ペレと対戦し、1RKO勝ち。
2007年10月19日、カナダで行われたHCFでダン・ボビッシュと対戦し、フロントチョークで一本勝ち。
2008年7月19日に行われたAffliction: Bannedにてポール・ブエンテロと対戦予定であったが、大会前の血液検査の結果により出場停止となった。兄ヒョードルは「血液検査の結果により出場停止となったことは確かだが、詳細は分からない」とインタビューで答えている[4]。関係者からはC型肝炎に感染している可能性が示唆された。
2009年、所属していたレッドデビルを離脱し、フリーランスとなった[5]。3月29日のProFCではかつての同門イブラヒム・マゴメドフと対戦し、カットによるTKO勝ちを収めた。マゴメドフとは2012年に再戦し、この試合もドクターストップで勝利を収めている。
2010年、ロシアのProFCでエディ・ベンスンとproFCヘビー級ワンマッチで対戦で1ラウンド40秒KO勝ち。
同年5月22日に行われたアゼルバイジャンのAPFでミオドラグ・ペトコヴィッチにKO勝ち。
しかし2010年12月18日にハバロスクで行われたDRAKAでピーターグラハムと変則30秒ルールで対戦したがKO負け。
2012年11月15日にM-1 Challenge 35でジェフ・モンソンと対戦。2Rにモンソンの得意技ノースサウスチョークで一本負け。試合後アレキサンダーはモンソンに再戦を求めたが、その後街での喧嘩が原因となりM-1 Globalをリリースされた。
2013年5月25日にモスクワで開催されたLegendにてボブ・サップと対戦。打撃で1ラウンドKO勝ち。この試合でアレキサンダーは髭を長く伸ばし、試合に臨んでいた。
2014年1月25日に開催されたColiseum FC: New History 2でディミトリー・ソスノフスキーと対戦し1ラウンドに打撃でKO負けとなった。
3年後の2017年に復帰しWorld Fighting Championship Akhmatに参戦。ジェロニモ・ドス・サントス、ヴァージル・ツウィッカーと対戦し、どちらも1ラウンド以内に打撃でKO勝ちを収めている。
2018年5月5日にRCC: Russian Cagefighting Championship 2で元UFCランカーのガブリエル・ゴンザーガと対戦。ゴンザーガはこの試合が2016年のデリック・ルイス戦以降2年振りの復帰戦であった。1Rはペースを掴まれテイクダウンを奪われる場面などがあったものの、2Rに打撃のラッシュでKO勝ちを収めた。
2018年8月15日にWorld Fighting Championship Akhmat 50でトニー・ジョンソンと対戦。3ラウンドを戦い抜き、人生初の引き分けとなった。
2020年7月24日、ACAにてマゴメド・イスマイロフと対戦。3R・3分25秒、パウンドにてTKO負け。
人物・エピソード
- 2004年に結婚。2007年には子供も一人誕生している。
- 度々刑務所に収監され、一時期マフィアの一員であったことから、一部メディアからは「ヒョードルの愚弟」と評されている[1]。
戦績
総合格闘技 戦績
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36 試合
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(T)KO
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一本
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判定
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その他
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引き分け
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無効試合
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28 勝
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20
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5
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3
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0
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1
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0
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7 敗
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4
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3
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0
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0
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勝敗
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対戦相手
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試合結果
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大会名
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開催年月日
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△ |
トニー・ジョンソン |
5分3R終了 ドロー |
World Fighting Championship Akhmat 50 |
2018年8月18日
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○ |
ビクトー・ペスタ |
2R 3:52 TKO(パンチ連打) |
RCC: Russian Cagefighting Championship 3 |
2018年6月9日
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○ |
ガブリエル・ゴンザーガ |
2R 3:43 TKO(膝蹴り) |
RCC: Russian Cagefighting Championship 2 |
2018年5月5日
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○ |
シモン・バヨル |
1R 3:03 TKO (スタンドパンチ連打) |
Battle on Volga 3 |
2018年3月5日
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○ |
ヴァージル・ツウィッカー |
1R 2:56 TKO (スタンドパンチ連打) |
WFCA44 |
2017年12月17日
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○ |
ジェロニモ・ドス・サントス |
1R 0:36 TKO (スタンドパンチ連打→パウンド) |
WFCA 42 |
2017年9月27日
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× |
ディミトリー・ソスノフスキー |
1R 1:43 TKO(パンチ連打) |
Coliseum FC: New History 2 |
2014年1月25日
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○ |
ジョゼ・ホドリゴ・ゲウケ |
1R 4:10 TKO(パンチ連打) |
ProFC 49: Resurrection |
2013年7月4日
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○ |
ボブ・サップ |
1R 1:18 TKO(パウンド) |
Legend: Emelianenko vs. Sapp |
2013年5月25日
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× |
ジェフ・モンソン |
2R 3:17 ノースサウスチョーク |
M-1 Challenge 35: Emelianenko vs. Monson |
2012年11月15日
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○ |
コンスタンチン・グルチョフ |
5分3R終了 判定3-0 |
M-1 Challenge 34: Emelianenko vs. Gluhov |
2012年9月30日
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○ |
イブラヒム・マゴメドフ |
2R終了時 TKO(ドクターストップ) |
M-1 Challenge 33: Emelianenko vs. Magomedov 2 |
2012年6月6日
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○ |
タダス・リンケビュチス |
2R 1:52 TKO(パンチ連打) |
M-1 Challenge 31: Monson vs. Oleinik |
2012年3月16日
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○ |
トレジェン・アキルベコフ |
1R 4:32 チキンウィングアームロック |
Bushido Lithuania: vol.50 |
2011年12月21日
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× |
マゴメド・マリドフ |
1R 0:23 KO(パンチ) |
M-1 Challenge 28: Emelianenko vs. Malikov |
2011年11月12日
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× |
ピーター・グラハム |
2R 2:59 TKO(ローキック) |
Draka: Governor's Cup 2010 |
2010年12月18日
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○ |
ミオドラグ・ペトコヴィチ |
1R 3:00 TKO(パンチ連打) |
APF: Azerbaijan vs. Europe |
2010年5月22日
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○ |
エディ・ベンスン |
1R 0:40 TKO(パンチ連打) |
ProFC: Commonwealth Cup 【ProFCヘビー級タイトルマッチ】 |
2010年4月23日
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○ |
イブラヒム・マゴメドフ |
1R 0:51 TKO(パンチ連打) |
ProFC: Russia vs. Europe |
2009年3月29日
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○ |
イ・サンス |
1R 2:40 TKO(パウンド) |
M-1 Challenge 9: Russia |
2008年11月21日
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○ |
シルビオ・サントス |
1R 1:35 TKO(パンチ連打) |
M-1 Challenge 2: Russia |
2008年4月3日
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○ |
ダン・ボビッシュ |
1R 1:09 フロントチョーク |
HCF: Title Wave |
2007年10月19日
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○ |
ジェシー・ギブソン |
1R チキンウィングアームロック |
M-1 MFC: Battle on the Neva |
2007年7月21日
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○ |
エリック・ペレ |
1R 4:07 KO(パンチ) |
BodogFight: Clash of the Nations |
2007年4月14日
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× |
ファブリシオ・ヴェウドゥム |
1R 3:24 肩固め |
2H2H: Pride & Honor |
2006年11月12日
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○ |
セルゲイ・ハリトーノフ |
1R 6:45 TKO(パウンド) |
PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦 【無差別級グランプリ リザーブマッチ】 |
2006年9月10日
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× |
ジョシュ・バーネット |
2R 1:57 V1アームロック |
PRIDE 無差別級グランプリ 2006 開幕戦 【無差別級グランプリ 1回戦】 |
2006年5月5日
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○ |
パウエル・ナツラ |
1R 8:45 スリーパーホールド |
PRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI- |
2005年12月31日
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○ |
レネ・ローゼ |
1R 0:28 TKO(膝蹴り→パウンド) |
Bushido Europe: Rotterdam Rumble |
2005年10月9日
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○ |
ヒカルド・モラエス |
1R 0:15 KO(スタンドパンチ連打) |
PRIDE 武士道 -其の六- |
2005年4月3日
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○ |
ジェームス・トンプソン |
1R 0:12 KO(左フック) |
PRIDE.28 |
2004年10月31日
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○ |
カーロス・バヘット |
5分3R終了 判定3-0 |
M-1 MFC: Middleweight GP |
2004年10月9日
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× |
ミルコ・クロコップ |
1R 2:09 KO(左ハイキック→パウンド) |
PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦 |
2004年8月15日
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○ |
マット・"ザ・ツイン・タイガー" |
1R 3:16 スリーパーホールド |
PRIDE 武士道 -其の参- |
2004年5月23日
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○ |
アンジェロ・アロウージョ |
2R 4:28 TKO(左目尻カット) |
INOKI BOM-BA-YE 2003 馬鹿になれ夢を持て |
2003年12月31日
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○ |
アスエリオ・シウバ |
2R(10分/5分)終了 判定2-1 |
PRIDE 武士道 |
2003年10月5日
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獲得タイトル
- 世界サンボ選手権 コンバットサンボ 100kg超級 優勝(2003年)
- 世界サンボ選手権 コンバットサンボ 100kg超級 優勝(2004年)
- 世界サンボ選手権 コンバットサンボ 100kg超級 優勝(2006年)
- ProFCヘビー級王座(2010年)
脚注
外部リンク