エルンスト・フリードリヒ (ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公)
エルンスト・フリードリヒ・フォン・ザクセン=コーブルク=ザールフェルト(ドイツ語: Ernst Friedrich von Sachsen-Coburg-Saalfeld, 1724年3月8日 ‐ 1800年9月8日)は、テューリンゲン地方の諸侯の1人。ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公爵(在位:1764年 - 1800年)。 生涯ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公子だったフランツ・ヨシアスと、その妃のシュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯女アンナ・ゾフィアの間に長男(第1子)として生まれた。1758年にシュヴァルツブルク=ゾンダースハウゼン侯ハインリヒ35世が、同族の男子相続者を差し置いてエルンスト・フリードリヒを侯領の相続人に指名したため、相続をめぐる訴訟に巻き込まれている。 1764年、父の死に伴い相当な負債を抱えたザクセン=コーブルク=ザールフェルト公爵領を相続した。莫大な借金の返済のため、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世は30年間の年限付きでコーブルク=ザールフェルト公爵領の債権処理委員会を設けた。この委員会の委員長は、最初はザクセン=ヒルトブルクハウゼン公子ヨーゼフ・フリードリヒが、次いでザクセン=ゴータ=アルテンブルク公エルンスト2世が務めた。この委員会の監督の下、エルンスト・フリードリヒは年に1万2000ターラーを債権者に納めさせられた。 1768年にエルンスト・フリードリヒは領内で宝くじを開始し、その収入は感化院や孤児院の経営を支援するために費やされた。また、農業に対しても支援を惜しまなかった。 子女1749年4月23日にヴォルフェンビュッテルにおいて、ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公フェルディナント・アルブレヒト2世の四女ゾフィー・アントイネッテと結婚し、間に5男2女を儲けた。
参考文献
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