オトウェイ・カフ (初代デザート伯爵)初代デザート伯爵オトウェイ・カフ(英語: Otway Cuffe, 1st Earl of Desart、1737年11月25日 – 1804年8月9日)は、アイルランド王国出身の貴族、政治家。 生涯初代デザート男爵ジョン・カフと2人目の妻ドロシア・ゴージェス(Dorothea Gorges、リチャード・ゴージェスの娘)の息子として、1737年11月25日に生まれた[1]。1752年7月11日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学した[2]。1756年に法曹院に入学したが、1756年1月31日にインナー・テンプルに入学したとする文献[1]と1756年にミドル・テンプルに入学したとする文献が存在する[2][3]。 1767年11月25日に兄ジョンが死去すると、デザート男爵位を継承、同年12月22日にデザート男爵としてアイルランド貴族院議員に就任した[1]。 1781年1月6日にアイルランド貴族であるキルケニー県におけるデザート子爵に叙され、1791年10月9日にデザート子爵としてアイルランド貴族院議員に就任した[1]。さらに1793年12月4日には同じくアイルランド貴族であるキャッスル=カフ子爵とデザート伯爵に叙され、1794年1月21日にデザート伯爵としてアイルランド貴族院議員に就任した[1]。1800年合同法によりアイルランド王国とグレートブリテン王国が合同して連合王国が成立すると、デザート伯爵は1801年にアイルランド貴族代表議員に当選し、以降1804年まで務めた[1]。 1804年8月9日にダブリンで死去、息子ジョン・オトウェイが爵位を継承した[1]。 家族1785年8月18日、ダブリンでアン・ブラウン(Anne Browne、1755年3月6日 – 1814年8月15日、第2代アルタモント伯爵ピーター・ブラウンの娘)と結婚[1]、1男2女をもうけた[3]。
出典
|
Portal di Ensiklopedia Dunia