伝記作家のジェニファー・バーンズ (Jennifer Burns) は、『市場の女神:アイン・ランドとアメリカ右翼』(Goddess of the Market: Ayn Rand and the American Right)で、「アメリカ先住民(Native Americans)は野蛮人(savages)であった」、「アメリカ先住民は個人の権利を認識していなかったのだから、ヨーロッパ人入植者にはアメリカ先住民から土地を奪う権利があった」といったランドの見解が、リバタリアンたちをいかに憤激させたかを描いている[6]。またバーンズによれば、「パレスチナ人にはいかなる権利もない。野蛮が支配する地域に作られた、文明の唯一の前哨がイスラエルである。だからイスラエルを支持することは道徳的である」というランドの見解も、ランドの愛読者層の中で当時大きな比率を占めていたリバタリアンの間で議論になった[6]。
外交政策をめぐって
リバタリアンとオブジェクティビストは、外交政策をめぐり意見が対立することが多い。ランドによる「未開の拒否」は、1970年代の中東和平交渉にも拡大された[6][7]。1973年の第四次中東戦争後、ランドはアラブ人を「未開人(primitive)」であり、その多くは「定住しない人々(nomads)」であり、「最も遅れた文化(the least developed cultures)の一つ」であると罵倒した[7]。さらにランドは、アラブ人がイスラエルに憤るのは、「彼ら(アラブ人)の大陸」においてこのユダヤ人国家が「近代科学と文明の孤塁(the sole beachhead of modern science and civilization)」だからだと主張し、「文明人たちが野蛮人たちと戦っていたら、それがどんな文明人だろうと、文明人の味方をするものだ」と断じた[7]。
アメリカ合衆国のリバタリアン党が1972年の大統領選挙に初めて立てた候補者であるジョン・ホスパーズ(英語版)は、自身の政治信条を形成する上でランドから大きな影響を受けたと述べている[11]。ケイトー研究所のエグゼクティブ・バイス・プレジデント、デヴィッド・ボアズ(David Boaz)は、ランドの作品を「間違いなくリバタリアンの伝統に位置づけられる」と評した上で、「彼女の極論やカルト的崇拝者たちに引いてしまったリバタリアンもいる」と述べた[12]。ミルトン・フリードマンは、ランドを「多大な善を為した、徹底的に不寛容で教条主義的な人物」と評した[13]。マレー・ロスバードは、「ランドの思想には基本的に同意しないが、自分が自然権の理論を確信するようになったのはランドの影響だ」と述べた[14]。後にロスバードは、ランドを激しく批判するようになった。『アイン・ランド・カルトの生態学』(The Sociology of the Ayn Rand Cult)で、ロスバードは次のように書いた。
アイン・ランド協会の役員であるジョン・アリソン(John Allison)は、ケイトー研究所が2012年9月に主催した会議Cato Club 200 Retreatで講演した[22]。またアリソンは、同研究所の定期刊行誌Cato's Letterに論文「金融危機の真の原因("The Real Causes of the Financial Crisis")」を寄稿し[23]、2011年11年に同研究所が主催した会議Cato's Monetary Conferenceでも講演している[24]。
^Hospers, John, Libertarianism, Nash, 1971; "Conversations with Ayn Rand," Liberty, July 1990, pp. 23-36, and Sept. 1990, pp. 42-52; and, "Memories of Ayn Rand," Full Context, May, 1998.
^Branden, Barbara, The Passion of Ayn Rand, Doubleday, 1984, p. 413。また、ロスバードはランドへの手紙で「『肩をすくめるアトラス』はこれまで書かれた中で最も偉大な小説です」と書いた(Raimondo, Justin, An Enemy of the State: The Life of Murray N. Rothbard, Prometheus Books, 2000, p. 118。Rothbard, Murray, "Letters: the Philosophy of Ayn Rand," The National Review, January 18, 1958, p. 71も参照)
^Rothbard, Murray (1972年). “The Sociology of the Ayn Rand Cult”. 2009年8月4日閲覧。。ロスバードのこのエッセイは後に改訂され、1987年にLiberty誌から、1990年にCenter for Libertarian Studiesから出版された。