オースティン・ビベンス=ディルクス
オースティン・ミッチェル・ビベンス=ディルクス(Austin Mitchel Bibens-Dirkx, 1985年4月29日 - )は、アメリカ合衆国オレゴン州マリオン郡カイザー出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。愛称はエル・ルビオ[1]。 メディアによっては「ビベンスダークス」とも表記される。ダークスが英語読みで、ディルクスはオランダ語読みである。 ライアン・ローランド=スミスに次いで、MLB史上2人目のラストネームにハイフンを用いた選手である。 経歴プロ入りとマリナーズ傘下時代2006年のMLBドラフト16巡目(全体471位)でシアトル・マリナーズから指名され、プロ入り[2]。契約後、傘下のA-級エバレット・アクアソックスでプロデビュー。同球団で3試合に登板後、A級ウィスコンシン・ティンバーラトラーズへ昇格。A級ウィスコンシンでは25試合に登板して2勝2敗4セーブ・防御率1.95・25奪三振の成績を残した[3]。 2007年はA+級ハイデザート・マーベリックスでプレーし、31試合に登板して3勝1敗8セーブ・防御率4.42・26奪三振の成績を残した[3]。 2008年はA+級ハイデザートで開幕を迎え、29試合に登板したが、7月9日に左膝の故障で離脱した。7月30日にルーキー級アリゾナリーグ・マリナーズで復帰。8月22日にA+級ハイデザートへ再昇格した。A+級ハイデザートでは32試合に登板して1勝1敗1セーブ・防御率7.95・31奪三振の成績を残した[3]。 カブス傘下時代2009年5月にゴールデンベースボールリーグのビクトリア・シールズと契約して8試合に登板後[4]、7月5日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結んだ[5]。傘下のA級ピオリア・チーフスでプレーし、12試合(先発8試合)に登板して7勝2敗1セーブ・防御率3.70・50奪三振の成績を残した[3]。 2010年はAA級テネシー・スモーキーズでプレーし、16試合に先発登板して5勝3敗・防御率3.27・68奪三振の成績を残した。7月にAAA級アイオワ・カブスへ昇格し、13試合(先発8試合)に登板して5勝4敗・防御率4.61・34奪三振の成績を残した[3]。 2011年はAAA級アイオワで開幕を迎え、20試合に登板したが、防御率7.16と振るわず、7月にAA級テネシーへ降格した。AA級テネシーで5試合に登板後、8月にAAA級アイオワへ再昇格した。AAA級アイオワでは24試合(先発17試合)に登板して4勝5敗・防御率6.07・75奪三振の成績を残した[3]。 ナショナルズ傘下時代2012年1月10日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ[6]。傘下のAA級ハリスバーグ・セネターズとAAA級シラキュース・チーフスでプレー。AAA級シラキュースでは29試合(先発2試合)に登板して0勝3敗1セーブ・防御率5.59・47奪三振の成績を残した[3]。8月12日にFAとなった[2]。 ロッキーズ傘下時代2012年8月15日にコロラド・ロッキーズとマイナー契約を結んだ。契約後はAAA級コロラドスプリングス・スカイソックスでプレーし、7試合に登板して1勝1敗・防御率13.89・10奪三振の成績を残した[3]。 ブルージェイズ傘下時代![]() (2013年3月24日) 2013年1月15日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ。この年は傘下のAA級ニューハンプシャー・フィッシャーキャッツとA+級ダニーデン・ブルージェイズでプレー。AA級ニューハンプシャーでは12試合(先発10試合)に登板して3勝4敗・防御率1.92・57奪三振の成績を残した[3]。 2014年はAAA級バッファロー・バイソンズとAA級ニューハンプシャーでプレー。AAA級バッファローでは17試合(先発4試合)に登板して2勝2敗・防御率3.89・35奪三振の成績を残した。オフの11月4日にFAとなったが、12日にブルージェイズとマイナー契約で再契約した[7]。 2015年もAAA級バッファローとAA級ニューハンプシャーでプレー。この年はAA級ニューハンプシャーでの登板が多く、20試合(先発18試合)に登板して7勝8敗・防御率4.08・86奪三振の成績を残した[3]。オフの11月6日にFAとなった[2]。 独立リーグ時代2016年4月5日に独立リーグであるアトランティックリーグのランカスター・バーンストーマーズと契約。10試合に先発登板して3勝3敗・防御率3.81・50奪三振の成績を残した[3]。 レンジャーズ時代2016年6月17日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ[2]。傘下のAAA級ラウンドロック・エクスプレスへ配属され、17試合(先発13試合)に登板して3勝4敗・防御率3.04・62奪三振の成績を残した。オフの11月7日にFAとなったが、12月16日にレンジャーズとマイナー契約で再契約した[8]。 2017年は開幕からAAA級ラウンドロックでプレーし、5月7日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[9]。5月17日のフィラデルフィア・フィリーズ戦でメジャーデビューを果たし、1回を投げて1失点だった[10]。6月6日のニューヨーク・メッツ戦でMLB初勝利を挙げた[11]。次の登板となった6月11日のナショナルズ戦から先発に回り、この試合では7回1失点の好投で相手先発のマックス・シャーザーに投げ勝った[12]。この年はMLBでは24試合(先発6試合)に登板して5勝2敗・防御率4.67・38奪三振の成績を残した。オフの11月6日に40人枠を外れる形でAAA級ラウンドロックへ配属された[2]後、FAとなった[13]。12月19日にレンジャーズとマイナー契約を結び、2018年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[2]。 2018年も開幕からAAA級ラウンドロックでプレーし、5月24日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[14]。6月20日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦に先発した際には、本来は三塁手のアイザイア・カイナー=ファレファが捕手を務めており、MLB史上初めて苗字にハイフンが入っている選手同士のバッテリーが誕生した[15][16]。オフの11月2日にFAとなった[2]。 台湾・統一時代2019年1月13日、台湾プロ野球の統一ライオンズと契約したことが発表された。しかし、6月12日に妻の出産に立ち会うためアメリカに帰国し、契約要項に従って2軍落ち。そのまま台湾に戻ることはなく、退団となった。 レンジャーズ傘下復帰2019年6月29日に古巣レンジャーズとマイナー契約を結び[2]、同日中に傘下AAA級ナッシュビル・サウンズへ配属された[2]。 ドジャース傘下時代2021年5月4日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ[2]。5月5日に傘下AAA級オクラホマシティ・ドジャースへ配属され[2]、開幕を迎えた[17]。結局、この年メジャーには昇格できず、オフの11月7日にFAとなった[2]。その後ウィンターリーグに参加し、ティグレス・デル・リセイに所属した。 メキシカンリーグ時代2022年2月7日にメキシカンリーグのモンテレイ・サルタンズと契約した[18]。5月10日にラグナ・ユニオン・コットンファーマーズにトレード移籍した[2]。5月17日に自由契約となった[2]。この年限りで現役を引退した。 現役引退後2023年より、トロント・ブルージェイズ傘下A+級バンクーバー・カナディアンズのブルペンコーチに就任した[19]。 詳細情報年度別投手成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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