オートザム
オートザム(Autozam)は、マツダのディーラーの一つ。1989年(平成元年)のマツダ5チャンネル体制(マツダ、ユーノス、アンフィニ、オートザム、オートラマ)化に伴い、軽自動車や小型車を取り扱うブランドとして開設された。 1998年より、マツダオートザム(Mazda Autozam)の名称に変更された(詳細は後述)。 オートザムの名前は、「オートモービル」(AUTOMOBILE)とマツダ(MAZDA)のスペルを逆から読んだ「ADZAM(アドザム)」を合わせた造語である。 概要「あなたの街の身近なカーショップ」をディーラーコンセプトに掲げ、中小規模の整備工場や中古車販売店を中心に販売網を整備したことが特徴の一つである。正規ディーラー契約の店舗のほかに、「協力店」と称したサブディーラー店舗も存在していた。地域によっては、ユーノスやオートラマ、他ブランドとの複合店舗も存在した[1][2][3]。 ブランド戦略ではユーノスやアンフィニと同様にマツダの名を伏せて展開した。ただし、車検証の車名欄には「オートザム」ではなく「マツダ」と記載された。 設立時のラインナップは軽自動車が中心で、フラグシップはクロノスの系譜のセダンであるクレフ。 また、高級車ラインナップを補う目的でランチアの正規輸入権を取得し[4]、ランチア・テーマ、ランチア・デルタ、アウトビアンキ・Y10といったイタリア・フィアットオートが製造するランチア、アウトビアンキブランドの乗用車も販売されていた[5]。 全国販売網は「株式会社オートザム」および地区卸会社(株式会社オートザム○○)が統括していた。一部の大都市圏では、地区卸会社が直営店舗「オートザムソシオ」店を運営していた。ランチア車専売を志向した高級店舗で、既存店の販促支援およびショールームの側面も持っていた[6][7]。
「マツダオートザム店」への順次移行2代目キャロル以外にヒットした車種は出なかったが、5チャンネル体制崩壊後も存続していた。その間にもディーラー権を返上して撤退する店舗が続出していた。 1998年、全国オートザム店の店舗規模・売り上げ等に一定の基準が設けられ、基準をクリアした店舗の看板は「マツダオートザム」と掲げられることとなった。「マツダオートザム店」に変更した店舗はファミリア・ボンゴ・プレマシーの販売権を与えられ、取り扱い車種はマツダ店と同一化が図られる。また、チャンネル発足時の主力販売車両であった軽自動車は、独自開発車両の開発は止めてスズキからのOEM車となる。 チャンネル再編期では、マツダオートザム店に移行できなかったオートザム店は、看板はそのままで取り扱い車種も軽自動車とデミオだけだったが、新機種としてAZ-オフロードとラピュタがマツダオートザム店と併売されていた。この2車以降「オートザム店」への新機種投入は無くなり、以降の新機種を取り扱うためにはマツダオートザム店に移行しなければならなくなった。基準未達成の店舗は新機種の販売権を与えられないままディーラー権を返上していき、結果2000年代前半までに、約900店舗あったオートザム店は350店のマツダオートザム店へと変わった[8]。また、ランチアの正規輸入権も1998年までに返上した。2001年には株式会社オートザムと地区卸会社が合併して「株式会社マツダオートザム」となり、全国1社で販売網を統括する体制になった。 その後は、2003年にアクセラ、2004年3月にMPV・トリビュート・ボンゴフレンディの取り扱いを開始。マツダの他のチャンネル(マツダ店・マツダアンフィニ店)でも、オートザムの専売車種だったキャロル・スピアーノ・AZ-ワゴン・スクラムを取り扱う様になり、他の販売チャンネルとの差別化は無くなっていった。 2016年4月より、これまで販売されなかったマツダ車の最上位車種であるアテンザ、ロードスター、ファミリアバン、タイタンの取り扱いを開始[9]。これにより、マツダオートザム店の名称は残るものの国内販売チャネルの事実上の一本化となった。それに伴い「株式会社マツダオートザム」は業務を停止し、全国販売網の統括・管理をマツダ本体および各地域のマツダアンフィニ店・マツダ店が行うこととなった[10]。 2014年以降、マツダ店・マツダアンフィニ店と同様の「新世代店舗」へのリニューアルが進んでいる。 専売時代の取り扱い車種オートザム取り扱い車種の車名には、オートザムを意味する『AZ』の付いた車種名が多かったが、ブランド戦略でマツダ色を隠す目的があった。カタログや各種宣伝では、ラインナップを「Autozam's Collection」と称していた。
脚注
外部リンク
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