キム・グラント
キム・タイロン・グラント(Kim Tyrone Grant, 1972年9月25日 - )は、ガーナ・セコンディ・タコラディ出身の元同国代表の元サッカー選手。現サッカー指導者・経営者。ポジションはフォワード。 世界初の黒人プロサッカー選手 アーサー・ウォートン[2] の直系の子孫[3][4]。 経歴クラブセコンディ・タコラディに生まれたグラントは、9歳の時に家族と共にイングランドへ渡り、16歳の時に本格的にサッカーを始めるため学校を去り、同年にチャールトン・アスレティックFCと契約した[1]。1991年3月に同チームのトップチームと初プロ契約を結び[5]、約6シーズンの間に123試合18得点を記録[6]。FAカップの舞台ではプレミアリーグの強豪マンチェスター・ユナイテッドFCやリヴァプールFCとも対戦し、1996年のリヴァプール戦(1-2)ではディビッド・ジェームスが守るゴールに20ヤードの距離から得点を挙げた[7]。 1996年3月に[5]ルートン・タウンFCへ移籍金25万ポンド[6] で移籍。ルートン・タウンでは1年半で43試合8得点を記録[6]。その後、ミルウォールFCでのローン移籍(3試合3得点)を経て、同クラブに移籍金18万5000ポンドで移籍し54試合8得点を記録[6]。1998年12月から1999年2月までローン移籍をしていたノッツ・カウンティFCでは6試合1得点を記録[6]。 1999年にミルウォールを去り、移籍金65万ポンドでベルギー1部のKFCロンメル(現ロンメル・ユナイテッド)に移籍[6]。ロンメルでの1シーズンで19試合3得点を挙げ、ポルトガル2部のFCマルコと契約し、2000-01シーズンに2試合出場した[8]。 2001年8月にイングランド・サッカー界に戻り、スカンソープ・ユナイテッドと契約し4試合1得点を挙げた後、10月にヨーヴィル・タウンFCへ移籍[6]。ヨーヴィル・タウンでの1年目はFAトロフィーを獲得したものの、リーグ戦 (5部)は2位だったため惜しくも昇格を逃したが、2年目に優勝し、4部へ昇格を果たした。 ヨーヴィル・タウンで33試合6得点を記録した[6] 後、2003年に再びポルトガル・サッカー界に行き、イモルタル・アルブフェイラ(現イモルタルDC)と契約し12試合6得点を記録[8]。2004年にマレーシア1部のサラワクFAで7試合3得点を記録[8]。2005年に移籍した日本2部の湘南ベルマーレでは出場0となり失敗に終わった[8]。 2005年8月にグレイヴズエンド・アンド・ノースフリートFCと契約し、イングランド・サッカー界に復帰[6]。グレイヴズエンド・アンド・ノースフリートでは7試合1得点を記録した[8] 後、2006年2月にAFCウィンブルドンと契約[9] し、4試合に出場した。 2006年にシンガポール1部のセンカン・パンゴールFC(後のホウガン・ユナイテッドFC)と契約し、19試合10得点を記録[8]。2007年に同リーグのゲイラン・ユナイテッドFCで8試合3得点を記録[8]。 代表故郷のガーナ代表としてアフリカネイションズカップ1996予選や1998 FIFAワールドカップ・アフリカ予選でプレーし、14試合4得点を記録[1]。 監督と経営者2008年5月にイングランド5部のウォキングFCの監督に就任した[10] が、7試合で僅か勝ち点2だったため9月3日に解任された[11]。2009年夏にガーナへ戻り、新たに設立されたFCタコラディのオーナー兼ヘッドコーチに就任[1] し、2013年にはウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCのスカウトを担当している[12]。 個人成績
代表歴試合数
脚注
関連項目外部リンク
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