キリスト教神秘主義![]() キリスト教神秘主義(キリストきょうしんぴしゅぎ)は、人間が、神、イエス・キリスト、聖霊を直接経験するための実践である [注釈 1]。また、そこでのキリスト教神学は神秘神学と呼ばれる。 伝統的には、以下の実践が行われる。 キリスト教の一般的教理では、人々は聖書を学び、イエス・キリストを信じること、教会の儀式に参加することによって神に近づくこと、神を知ることができるとされている。特に、キリスト教神秘主義では、知性では到達できない霊的な真理を、おもに「キリストに倣う」ことにより、把握しようと努める。 キリスト教神秘主義はけっして分派主義ではなく、キリスト教初代教会から伝わる伝統的な考え方、実践方法であり、その本質は今も変わっていない。 聖書上の根拠キリスト教神秘主義の伝統は、キリスト教史そのものと同じくらい古い。少なくとも新約聖書の3つの文書には、後のキリスト教神秘家の思想を思い起こさせる主題が幾つも見られる。 まず、「ガラテアの信徒への手紙 2:19 」には、次のようにある。
キリスト教神秘主義にとって、次に重要な一節は「ヨハネの手紙一 3:2」 である。
そして3番目は、(とりわけ東方キリスト教神秘主義にとって重要なのだが)、「ペトロの手紙二 1:4」 である。
また、キリスト教神秘主義においては、以下の2点が主要な主題である。
これらの点について、「コリントの信徒への手紙一 13:12 」には、以下のようにある。
他にも神秘体験の記述が見られる。例えば、「コリントの信徒への手紙二 12:2」 には、パウロが、ある人が、おそらく体を離れて「第三の天」まで引き挙げられた例を紹介している。
このような神秘体験は、おそらくイエスの山上の変容(マルコ 9:2) の際にも起こった。共観福音書に確証されているように、この時、イエスは3人の使徒、すなわちペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを率いて、高い山に登り、そこで彼は変容したのである。顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。そこへ、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合った。そうして、光り輝く雲が彼らを覆い、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。 キリスト教神秘主義の実践このような神秘現象はしばしば、(キリスト教神秘主義を含む)神秘主義一般に見られるものであるが、キリスト教徒にとっては、強調点が別の所にある。つまり、キリスト教神秘主義で強調するのは、主に、人間の霊的変容である。人間の霊的変容とは、時として強調されるように、人間は「神の似姿に造られている」ので、より完全な人間になる、あるいは人間性をより実現するということである。キリスト教徒にとって、この「人間の潜在性を完全に実現すること」は、イエスにおいて最も完全に果たされており、また他の人においても、イエスとの結びつきを通じて実現される。この場合、キリスト教神秘家の場合は、イエスとの結びつきを意識しており、またガンジーのような、他の伝統宗教を信奉する者の場合は、イエスとの結びつきを意識していないという違いはあるけれども。 時代をさかのぼると、少なくともすでに、黒海南岸ポントスのエヴァグリオスや、偽ディオニュシオスなどのキリスト教神秘家は、聖なるものの三つの位階を求める実践道を探究していた。教派により、様相や用語は異なるが、この実践道は、「浄化」、「照明」、「合一」という段階を経ると説明され、これらは、肉体、心魂、霊という人間の「人性」の三形態を認識することに対応する。 第1の「浄化」の実践は、神秘家の修行の始まるところである。この段階の焦点は、訓練、とりわけ人間の肉体の制御にあり、神秘家は、独りで、または仲間とともに、一定の回数、一定の姿勢で(しばしば立ったまま、あるいは跪いて)祈りを行うことに重点を置く。断食と施しという別の修行も重視される。特に施しには、飢えている人に食べ物を与えたり、身寄りのない者に住まいを与えたりするなど、「慈しみの業」と言われる、霊的、かつ物質的な活動が含まれる。 第2の「照明」の実践は、聖霊が人の心を照らし、聖書やキリスト教の伝承に明示されている真理のみならず、自然界に明示されている真理を悟る知恵を与えてくれるという働きに関わるものである。ここで言う「自然界の真理」とは、科学的な意味ではなく、経験するあらゆる事物の中に神の働きを感じるというような、森羅万象の「深み」を照らす働きを指す。 第3の「合一」の実践は、西洋世界で普通、「瞑想」と呼ばれ、何らかの形で、神と一体になる経験に関わる。この一体化の経験は様々であり、記述するのが難しい。しかし、先ず第一に「神の愛」に関連づけられる。「ヨハネの手紙一 4:16」に「神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます」とあるように、知性による以前に、心によって、至高なる存在を知るのであるという根本テーマである。 この3段階について、第1、第2は、第3へと至る凖備的なものであると説く古典的神秘主義の教えもあり、一方、この3つは相互に重なり合っているものだと説くものもある。 キリスト教神秘主義の別の特徴は、集団生活に関係するものである。世を捨てた隠者にとってさえ、キリスト者の生活は常に、教会や信徒の交わりとともにあった。すなわち、とくに「聖餐式」(典礼ミサ・聖体礼儀)などの集団儀礼に参加することは、キリスト教神秘主義にとって不可欠の要素である。これにより、霊的指導者や告悔師(聴罪司祭)、また「魂の友」と交わることができ、霊的な修道の過程について論じ合うことができる(霊的な師は、聖職者である場合も在俗信徒である場合もある)。 主な神秘家のことば教父、師父、神秘家と呼ばれる人たちの言葉の多くには深い意味があり、キリスト教の神秘を理解するために有益である。その理由から以下に神秘家たちの言葉を各著作から引用する。 シリアのイサアク高度な霊性浄化を達成したと思われるシリアのイサアク[注釈 4]の苦行的説教集から彼のことばを引用する。 「視よ、苦行により人に如何なる幸福の生ずるかを。人は祈祷に膝を屈め、手を天に挙げ、面はハリストスの十字架に向かい、その悉くの思いを一つにまとめて神に祈るに集中すること屡々(しばしば)之あらん、而して人が涙と感動とを以って祈祷するやその間に之と同時に忽焉(こつえん)としてその心に楽しみを注ぐ泉の沸騰するありて、その肢体は弱り、目は閉ぢ、面は地に俯して、その所思(しょし)は変化す、よりて人はその全身に惹き起こさるる歓喜の為に叩拝(こうはい)を為す能はざることあらん。人よ読む所のものに注意せよ。けだし奮闘せずんば獲る所あらざるべく、熱心に門を叩き、そのかたわらに不断儆醒(けいせい)して止(とど)まらずんば聴かれざるべし。」[2] 。 ラウレンシオ修士カルメル会の修道士、ラウレンシオ修士(1614~1691)の霊的訓言に記されたことば。 「私たちのすべての行為が、どれこれの区別なく、みな、神との小さい語らいの一種となるように、しかもそれが、別に前もって考えたりしたものでなく、心の純潔さ、単純さからほとばしるがままの語らいであるように努めるべきである。」[3] 「霊と実とをもって、神を礼拝するとは、私たちが、彼を礼拝すべきように礼拝することである。神は霊であるから、霊と実とをもって、すなわち、私たちの霊魂の奥深い中心で、霊の謙遜真実な礼拝を捧げることである。この礼拝を見得るのは、神だけである。私たちはそれをたびたび繰り返しているうちに、ついにはまるで自然のようになり、あたかも神が私たちの霊魂と一であられ、私たちの霊魂は神と一であるかのようになる。実行してみれば、それがわかる。」[4] サーロフのセラフィムサーロフのセラフィム(1759~1833)が心の平安について語ったことば。 「人が彼の霊を内部に向け、その心の中で行動するのは、賢い魂のしるしである。そうすると神の恩恵が彼を覆いつくし、平安を得る。すなわち彼は正しき良心を享受する。同時に彼は、彼の場所は平和のうちにある、という神の言葉に従って、自分自身の内部で聖霊の恩恵を黙想しつつ、超自然的平安に達する。人が平和のうちにあれば、神はあたかもスプーンをもってするかのように、霊的な賜物を与えられる。」[5] ヴォロネジのアントニィ大主教深遠なる神秘家であったヴォロネジのアントニィ大主教(1773~1846)がキエフのパルフェーニィ長老(1790~1855)に書き送ったことば。 「大修道服は私たちの救い主イエスス・キリストのみ言葉そのものに基づいた、キリスト教徒の謙虚さのはかり知れない深みと高みである。『心が柔和で謙虚であることを私から学びなさい。あなたの魂は、休らぎを見い出すであろう。』(マタイ11:29)。こうした少ない言葉に私たちの救いのすべての神秘が述べられているのです。」[6] タイーシア女子修道院長レーウシンの女子修道院長タイーシア・ソローポワ(1841~1915)はおそらくロシアで最も深遠な女性神秘家であると思われる。彼女の回想録には多くの神秘的な幻視や恍惚状態が記されている。1885年11月8日、奉神礼の間の記述より。 「ヘルビム賛歌が歌われた。私の心は喜びに満たされたが、私は自分を抑え、私の感情を表すまいとして、また他の人の邪魔をしまいとして、聖歌隊の指揮をし続けた。聖歌隊が『今こそすべての世の煩いを忘れ去ろう』と歌い始めたとき、私は無意識に目を上げた。そしてどんな秩序だった方法でも言い表すことのでのきない、描き出すこともできないような何ものかを見た。聖像画障(イコノスタス)の王門のちょうど正反対のところ、聖所の高壇(ソレア)の上である秘密の儀式が行われているのを見た。天使たちに囲まれた救い主がそこにいて、何かが行われているように思われた。けれども私には何か異様なものが見えたり、聞こえたりはしても、それが何であるとか、どのように行われているのか、描写することは全然できない。私は幻視の始まるのに我を忘れて夢中になっていた。賛歌が歌い終わり、パンとぶどう酒の奉献行列(大聖入)が終わったとき、私は何も見えず、何も理解できなかった。私は何も覚えていない。私は信経宣言の前に連祷の最後の懇願が歌われたとき、ようやく我に返った。涙が私の頬をしたたり落ちた。そのときはじめて私は皆が私を見ているのに気がついた。」[7]。 シルワン長老シルワン長老(1866~1938)は26歳のとき聖山アトスにはいり、パンテレイモン修道院で修道生活を送り、会計や購買係、耕作や製粉の労働にも従事した。彼の日常は他のすべての修道者のそれとまったく同じであり、仕事の単調さのため、他の者はだれ一人として彼の偉大な霊性に気づくことはなかった。以下、シルワンの手記から引用。 「神のやさしさを体験した人は、神の国が私たちのうちにあると知っている。謙虚さと涙を愛し、悪い考えを嫌う人は幸いだ。兄弟を愛する人は幸いだ。兄弟は私たちの生命だからである。兄弟を愛する人は喜びと平安を注ぎ、全世界のために涙を与えてくださる神の聖霊を感ずるままにもたらす。私は人々のために苦しむが、彼らについて黙ることができない。私は泣けば泣くほど、彼らを愛し、彼らのために涙をもって祈る。兄弟たちよ、私は黙らない。神のやさしさを隠せない。そして悪魔の狡猾さに警戒せよ、と言わざるを得ない。」[8]。 主なキリスト教神秘思想家
主な著作伝記
主要な神秘主義作品
脚注注釈
出典
参考文献
外部リンク
関連項目
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