ギターウルフ
ギターウルフ(GuitarWolf)は、1987年に結成された日本のスリーピース・ロックバンド。ロック、ガレージロック、パンク・ロックからの影響を濃く見受けられる楽曲を展開する。現在の所属レコード会社はギターウルフレコード。 概要ビリー存命時は、作詞作曲のほとんどをセイジが担当していたが、一部の楽曲はビリーが作詞しボーカルを務めていた。UG加入後は、作詞作曲、ボーカル全てをセイジが担当している。詳細は後述のメンバーの節を参照のこと。 トレードマークは革ジャン、皮パン、サングラス。彼らのパフォーマンスや、メンバーのセイジが多大な影響を受けた人物の1人、ジョーン・ジェット(元ランナウェイズ)にちなんで、自らの音楽を「ジェット・ロックンロール」と呼ぶこともある。ラモーンズを敬愛しており、ライブ前には、ラモーンズの曲がよく流されている。 曲のスタイルはアルバムによって微妙にタッチは異なるが、一貫して3コードを基本としたシンプルな楽曲を展開。レコーディングは一斉録り(全員で一緒に演奏して、録音する方法)、一発録り以外はしない。セイジはレコーディング中でも、アンプからジャンプするなど、音よりもその場のエネルギーもまとめて収録したい、という思いがある[要出典]。その姿勢はライブでも顕著に表れており、アンプは大音量を流し、曲の大半はCDよりさらに速く、粗くなる。客の頭の上に仁王立ちしながら演奏したり、ギターの弦が切れても気にせず飛び跳ね回るなど、過激なライブパフォーマンスを展開、圧倒的な熱量を放つロックンロールのアグレッションを常に全力で表現している。 日本でのメジャーデビュー作は1997年の「狼惑星」だが、アメリカではソニック・ユースやティーンエイジ・ファンクラブなどが契約していたアメリカを代表するインディーレーベルの一つであるマタドール・レコードから1995年にアルバム「ミサイル・ミー」でデビューしている。 ギターウルフとして初のアルバムとなった93年発表の「WOLF ROCK」も最初にリリースされたのはアメリカのメンフィスを拠点とする「GONER RECORDS」であったり、新しいアルバムのツアーの際には必ずアメリカツアーが組まれたり、ニューヨークを拠点とするファッションブランド『ショット』からギターウルフモデルのライダースジャケットがリリースされるなど、アメリカとの縁は深い。 また、世界規模で活動していることでも有名で、アルバムのリリースツアーの際は日本はもちろんのこと、アメリカ、ヨーロッパ、イギリス、果ては南米も回っている[1]。 1997年のメジャーデビューから2018年までキューンレコードに所属していたが、これを「殿堂入り」という形で事実上離脱をし、新たに自主レーベル「ギターウルフレコード」を設立して活動している。 2017年から島根県松江市にてギターウルフ主催による野外音楽フェス『シマネジェットフェス』を行っている。2020年は新型コロナウイルスの世界的流行により、オンライン・フェスティバルとして開催された。ライブストリーミング・チャンネルDOMMUNEで配信され、世界各地からもライブ参加があった[2]。当日のアーカイブはYouTubeで公開されている[3]。 メンバーメンバーは担当楽器によって、「ギターウルフ」「ベースウルフ」「ドラムウルフ」と呼ばれることもある。
GOTZ TAKURO 旧メンバービリー(本名: 関口 秀明、1967年1月8日 - 2005年3月31日)
ヒカル
シンゴテツミ
来歴1993年、アメリカにてアルバム『WOLF ROCK』でCDデビュー。日本国内では、1997年にアルバム『狼惑星』でメジャーデビュー。 長らく3人での活動が続いていたが、2005年3月31日未明にビリーが心不全により急逝した。ベスト・アルバムをリリースした後、同年9月、ギターウルフのファンであったUG(ユージ)が加入。UGは楽器経験者ではなく、ヒップホップを好み、ロックはギターウルフしか聴いたことがなかったという。セイジは抜擢の理由について、「UGが入ることによって予想できない新たな爆発を生み出したかった」といった旨の発言をしている。 UGの脱退が決定後、公式サイトにて新ベーシストを公募[16]。応募者には後日セイジより直筆の返信が送られた[17]。 2000年に入ってから海外進出を果たすバンドも増える中、ギターウルフは早い段階で海外進出を果たしており、少年ナイフと並んで北米で最も注目を受ける日本のバンドのひとつと言える[要出典]。それを物語るエピソードとしては、2004年リリースのトリビュート・アルバムの、ジム・オルークやダイナソーJr.のJ・マスシス(因みにソニック・ユース同様ギターウルフに前座のオファーを断られた過去がある)の参加や、2006年12月4日には、アコースティック公演を終えたフー・ファイターズのメンバーがハリウッドからツアーに同行していたデイヴ・グロールのハーレー仲間takaから「今夜のショーが終わり次第、ギターウルフの新宿ロフトのライブに行く」と聞き、急遽メンバー全員もtakaとリムジンを飛ばして駆けつけるという出来事が挙げられる[要出典]。 ディスコグラフィーシングル
アルバム
トリビュート・アルバム
ビデオ/DVD
参加作品
ミュージックビデオ
タイアップ一覧
出演映画
テレビ
CM
主なライブ
脚注注釈出典
外部リンク
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