クート準男爵クート準男爵(クートじゅんだんしゃく、英: Coote baronets)は、準男爵位。1621年にアイルランドの準男爵位として、1774年にグレートブリテンの準男爵位として創設され、前者が現存する。 歴史1621年の創設イングランド出身の軍人チャールズ・クート(1581–1642)は1600年にアイルランドに移ったのち、アイルランド九年戦争で戦功を立て、1616年11月5日に騎士爵に、1621年4月2日にアイルランドの準男爵位を叙された[1]。2代準男爵チャールズ・クート(c.1610–1661)は1626年6月4日に騎士爵に叙されたのち、アイルランド庶民院議員を務め、アイルランド同盟戦争で政府軍に味方した[2]。1650年代に第一議会、第二議会、第三議会の議員を務めたが、1659年にチャールズ2世の王政復古を支持したため、1660年9月6日にアイルランド貴族であるクイーンズ・カウンティにおけるマウントラス伯爵、ロスコモン県キャッスル・クートのクート子爵、キングス・カウンティキャッスル・カフのクート男爵に叙された[3]。 2代伯爵チャールズ・クート(c.1630–1672)はアイルランド庶民院議員を務め、3代伯爵チャールズ・クート(c.1655–1709)はロード・ジャスティス(摂政)の1人になった[4]。5代伯爵ヘンリー・クート(1684–1720)と6代伯爵アルジャーノン・クート(1689–1744)はホイッグ党所属のグレートブリテン庶民院議員を務めた[5]。 7代伯爵チャールズ・ヘンリー・クート(c.1725–1802)は生涯未婚で嫡子がおらず、1800年7月31日にアイルランド貴族であるキャッスル・クート男爵に叙された[6]。この爵位には特別残余権(special remainder)が規定されており、チャールズ・ヘンリー・クートの男系子孫が断絶した場合、遠戚のチャールズ・ヘンリー・クート(1754–1823)およびその男系男子が継承できるとした[6]。かくして、1802年に7代伯爵が死去すると、キャッスル・クート男爵位はチャールズ・ヘンリー・クートが継承、1660年創設の爵位は廃絶[7]、準男爵位はもう1人の遠戚チャールズ・ヘンリー・クート(1792–1864)(初代伯爵の弟チッドリー・クートの来孫)が継承した[8]。7代伯爵の遺産のうち、アイルランドでの地所のみクート家が相続した[9]。 9代準男爵以降はその男系子孫によって継承され[10]、2020年現在の当主は16代準男爵サー・ニコラス・パトリック・クート(1953–)である[11]。 1774年の創設初代ベロモント伯爵チャールズ・クート(1738–1800)は1774年5月18日にグレートブリテンの準男爵位を叙された[12]。この準男爵位は特別残余権(special remainder)が規定され、チャールズ・クートの男系子孫が断絶した場合は庶子チャールズ・クート(1765–1857)が継承できるとした[12]。ベロモント伯爵の嫡子が早世したため、1800年に伯爵が死去すると、庶子チャールズ・クートが準男爵位を継承、それ以外の爵位は廃絶した[13]。 準男爵位は以降息子、孫へと継承されたが[14]、1920年に4代準男爵サー・チャールズ・アルジャーノン・クート(1847–1920)が死去すると、準男爵位は廃絶した[15]。 (キャッスル・カフの)クート準男爵(1621年)マウントラス伯爵(1660年)
(キャッスル・カフの)クート準男爵(1621年、復帰)
準男爵位の法定推定相続人は現当主の息子ローリー・アラスデア・クート(1987年 – )である。 (ドニーブルックの)クート準男爵(1774年)
出典
参考文献
関連項目 |
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