グッバイヘイロー
グッバイヘイロー (Goodbye Halo) はアメリカ合衆国の競走馬、繁殖牝馬。ケンタッキーオークスなどG1競走を7勝している。 出自ケンタッキー州の生産者、ウィリアム・リードの生産したサラブレッドの牝馬である。1986年のキーンランドセールに上場され、47,000ドルでジョン・バリスに落札された。その後、後述のデモワゼルステークス優勝後にアーサー・ハンコック3世に750,000ドルで売り渡され、ハンコック3世ものちにアレックス・キャンベル・ジュニアに所有権の半分を譲渡している[2]。 戦績デビュー戦を8馬身差で勝利したが、フリゼットステークスでは勝ち馬から20馬身離された8着と惨敗してしまう。しかし、次走のデモワゼルステークスで10馬身差の圧勝でG1初勝利を飾ると、翌年のラスヴァージネスステークスまで4連勝する。ちなみに、このラスヴァージネスステークスでは、後にケンタッキーダービーを勝ったウイニングカラーズをクビ差の2着に退けている。 サンタアニタオークスでは逆にウイニングカラーズの3着と敗戦し、連勝もストップしてしまうが、続くケンタッキーオークスを制覇した。更にその後もマザーグースステークス、コーチングクラブアメリカンオークスとG1競走を連勝するが、アラバマステークスで再び連勝がストップ、続くG2・ラスパルマスハンデキャップも3着に敗れてしまう。 連敗の流れを断ち切れないまま、陣営はブリーダーズカップ・ディスタフに出走する。この競走にはグッバイヘイローに加え、前述のウイニングカラーズ、無敗のまま挑んできたパーソナルエンスンも揃って出走し、非常に豪華な顔ぶれとなった。レース本番では、逃げ切りを図るウイニングカラーズにグッバイヘイローが食らいついている所を、外からパーソナルエンサインが差し切るといった、まさに三強の決着となった。結局グッバイヘイローはウイニングカラーズを捕らえることができず、半馬身差の3着に敗れるが、このレースは今でも伝説のレースとして語り継がれている。 その後も現役を続けるが、11戦して3勝(うちG1競走1勝)。アルゼンチンからアメリカに移籍し頭角を現してきたバヤコアを相手に1勝6敗(うち4戦は2着)と苦渋を舐めさせられることとなり、ブリーダーズカップ・ディスタフではウイニングカラーズともども掲示板外。全盛期の力は発揮できずに引退、繁殖入りした。 年度別競走成績
繁殖入り後1990年のキーンランド繁殖牝馬セールに出され、桜井盛夫が210万ドルで落札[4][2]、日本に輸入されて浅川吉男の協和牧場に繋養された[5]。日本に輸入される際、アメリカの名門競馬雑誌のブラッド・ホース誌に「SAYONARA Goodbye Halo(さよならグッバイヘイロー)」という海外流出を惜しむ特集が組まれた[6]。引退式で日本に輸出される旨が伝えられるとブーイングが起こったとの風説もあるが、日本行きが決まったのは引退レースとなるBCディスタフの二ケ月後のキーンランド1月セールであることもあり疑わしい。 その後産駒から高松宮記念の勝ち馬キングヘイローを出した。繁殖牝馬を引退した後も、協和牧場で功労馬として繋養された。 繁殖成績
血統表
参考文献
脚注
外部リンク
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