グラハム準男爵グラハム準男爵(Graham baronets)は、イギリスの準男爵位[注釈 1]。グラハム姓の者が叙位された準男爵位は8つあり、うち2つはノバスコシア準男爵、2つはイングランド準男爵、1つはグレートブリテン準男爵、3つは連合王国準男爵である。 ブレイコーのグラハム準男爵 (1625年)ブレイコーのグラハム準男爵(Graham baronets, of Braco)は、第3代モントローズ伯爵ジョン・グラハムの次男ウィリアム・グラハムが1625年9月28日にノバスコシア準男爵として叙位されたのに始まる。特別継承者(special remainder)の規定により初代より遡った男系男子への相続が可能だった[1][2]。4代準男爵の死去で初代の男系男子が絶え、初代にさかのぼっての分流であるモントローズ公爵グラハム家に継承されて現在まで続いている[3]。
エスクのグラハム準男爵 (1629年)エスクのグラハム準男爵(Graham Baronetcy, of Esk)は、王党派の庶民院議員リチャード・グラハムが、1629年3月29日にイングランド準男爵に叙位されたのに始まる[4]。3代準男爵は1681年5月13日にスコットランド貴族爵位プレストン子爵に叙されたため、その後3代にわたって準男爵位はその従属称号となったが、3代プレストン子爵の死去でプレストン子爵は廃絶。準男爵位は親族の家系に継承されて存続。現在まで存続している[5]。
ノートン・コニャーズのグラハム準男爵 (1662)ノートン・コニャーズのグラハム準男爵(Graham baronets, of Norton Conyers)は、上記のエスクの初代準男爵の次男リチャード・グラハムが1662年11月17日にイングランド準男爵位として叙位されたのにはじまる[6]
ガートモアのグラハム準男爵 (1665年)ガートモアのグラハム準男爵(Graham baronets, of Gartmore) は、ウィリアム・グラハムが1665年6月28日にノバスコシア準男爵として叙位されたのにはじまるが、2代準男爵の死去で廃絶した。
ネザービーのグラハム準男爵 (1783年)ネザービーのグラハム準男爵(Graham baronets, of Netherby)は、上記エスクのグラハム準男爵家の分流であるジェイムズ・グラハムが1783年1月15日にグレートブリテン準男爵として叙位されたのに始まる[7]。
カークストールのグラハム準男爵(1808年)カークストールのグラハム準男爵(Graham baronets, of Kirkstall)は、トーリー党の庶民院議員だったサー・ジェイムズ・グラハムが1808年10月3日に連合王国準男爵として叙位されたのに始まる[8]。5代準男爵が死去したことで廃絶した。
ラーバート・ハウス=ハウスヒルのグラハム準男爵 (1906年)ラーバート・ハウス=ハウスヒルのグラハム準男爵(Graham baronets, of Larbert House and Househill)は、実業家ジョン・グラハムが1906年12月4日に連合王国準男爵として叙位されたのにはじまる[9]。
ドロモアのグラハム準男爵(1964年)ドロモアのグラハム準男爵(Graham baronets, of Dromore)は、実業家でアイルランド統一党の政治家だったクラレンス・グラハムが、1964年1月23日に連合王国準男爵として叙位されたのに始まる[10]が、2代準男爵の死去で廃絶した。
脚注注釈
出典
|
Portal di Ensiklopedia Dunia