グレッグ・レイク
グレッグ・レイク(英語: Gregory Stuart "Greg" Lake、1947年11月10日 - 2016年12月7日)は、イングランド出身のボーカリスト、ベーシスト、ギタリスト、作詞家、作曲家。 略歴1960年、12歳の時に母親にギターを買ってもらい、クラシック・ギターの指導者ドン・ストライクに学んだ[1]。 1965年、15歳の時にユニット・フォーを結成してリード・ギターとヴォーカルを担当。この頃、ロバート・フリップ[注釈 1]と知り合った。ザ・タイム・チェックスなど多くのローカルバンドで徐々にギタリスト兼ボーカリストとしての頭角を現し、1967年にはザ・シェイム(The Shame)[2]に参加して[注釈 2]、デビュー・シングルを残した[注釈 3][3][4]。 1968年春にザ・ゴッズに加入。ボーカルに加えて初めてベース・ギターを担当してライブで活動したが、夏の終わりに脱退[5][6]。秋にはザ・シェイムが発展して生まれたシャイ・リムス(The Shy Slimes)[7][注釈 4]のデビュー・シングル[8]に客演してギターとボーカルを担当した[注釈 5][9]。 同年11月、フリップに誘われ、プログレッシブ・ロック・グループのキング・クリムゾンの結成に参加した。1969年に発表されたデビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』でベースとボーカルを担当[注釈 6]。 →「キング・クリムゾン § 来歴」も参照
1970年にキース・エマーソン、カール・パーマーとエマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)を結成[10]。作詞をほぼ一手に引き受け[注釈 7]、作曲もエマーソンに次いで単独もしくは共同で担当。レコードにはプロデューサーとしてクレジットされた[注釈 8]。ELPの人気が世界的に上昇すると彼も高い知名度を獲得した。 →「エマーソン・レイク・アンド・パーマー § 略歴」も参照
1980年にELPが解散した後、ゲイリー・ムーアやテッド・マッケンナらを迎えたソロ・プロジェクトに着手した。1981年に発表された初のソロ・アルバム『グレッグ・レイク&ゲイリー・ムーア』はELPとは異なったギターを重視した音作りがなされ、ボーカルもハード・ロック的になっている[11]。 1983年にはパーマーらが結成したエイジアに一時加入して、ジョン・ウェットン[注釈 9]の後任として日本公演に参加した。武道館で開かれた東京公演の模様はライブ・ビデオ『エイジア・イン・エイジア』に収録された。 1985年、エマーソン、コージー・パウエルとエマーソン・レイク・アンド・パウエルを結成。 →「エマーソン・レイク・アンド・パウエル § 解説」も参照
その後ソロ活動を行なっていたが、1992年にELPを再結成させてワールド・ツアーを敢行。 2001年、リンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンドのアメリカ・ツアーに参加。「クリムゾン・キングの宮殿」と「ラッキー・マン」を歌った。 2010年、エマーソンと2人で北米ツアーを行う。日本公演も予定されていたが、エマーソンの病気によりキャンセルされた。同年7月、ロンドンのハイ・ボルテージ・フェスティバルでELPの1度だけの再々結成ライヴを行う。本人は活動継続を否定し、その言葉通り、これがELPの最後のライブになった。 2013年、ソロで日本公演を行い、キング・クリムゾンとELPの他、エルヴィス・プレスリーなどお気に入りの楽曲も交えて歌った。 2016年12月7日、癌との闘病生活の末に死去。69歳没[12]。同年3月10日に急死したエマーソンの訃報を受けて哀悼のメッセージを発表してから9か月後だった。パーマーは、かつて彼が『展覧会の絵』で歌った「死こそ生なり」という歌詞を引用して追悼した[13]。 2018年、生前に完成させた自伝Lucky Man: The Autobiographyが出版された。 音楽性ELPの中で最もロック・ミュージックに影響を受けたメンバーである。ベーシストとしてはロック的な奏法とジャズ風のベース・ランニングとを使い分けられた。ピック弾きでオルタネイト・ピッキングの名手である。 歳月を経るにつれて声が太く低くなっていったので、ライブで『展覧会の絵』など過去の曲を歌う際にはキーを下げることがあった。 ディスコグラフィソロ・アルバム
キング・クリムゾン→詳細は「キング・クリムゾンの作品」を参照
エマーソン・レイク・アンド・パーマー→詳細は「エマーソン・レイク・アンド・パーマー § ディスコグラフィ」を参照
エマーソン・レイク・アンド・パウエル→詳細は「エマーソン・レイク・アンド・パウエル § ディスコグラフィ」を参照
グレッグ・レイク&ジェフ・ダウンズ
キース・エマーソン&グレッグ・レイク
著書
日本公演脚注注釈
出典
引用文献
参考文献
外部リンク |
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