グロスター伯爵グロスター伯爵(グロスターはくしゃく、英: Earl of Gloucester)は、イングランド貴族の爵位。 歴史イングランド王ヘンリー1世の庶子ロバート(c.1090–1147)は1122年6月と9月の間にイングランド貴族であるグロスター伯爵に叙された[1]。彼は1137年に国王スティーブンと争い、1138年に領地を剥奪されたが[2]、1139年に父の妻マティルダとともにイングランドに上陸して、マティルダの軍勢の指揮官を務めた[3]。 2代伯ウィリアム・フィッツロバート(1116–1183)は息子に先立たれ、娘を3人残したが、そのうち3女イザベル(c.1160/1166–1217)がグロスター伯爵位を継承し、国王ジョンと結婚した[4]。彼女はジョンの死後に2度再婚したが、子女をもうけず[5]、その死後は姉の息子ギルバート・ド・クレア(1180–1230)がグロスター伯となった[6]。以降父から息子への継承が続いたが、息子の夭折した8代伯ギルバート・ド・クレア(1291–1314)が死去すると、爵位は王領に吸収された[7]。 第1期グロスター伯爵がまだ存続していた1297年、7代伯の娘ジョーン・オブ・アッカ(1272–1307)と結婚したラルフ・ド・モンザーマー(1270–1325)はこの結婚に基づきグロスター伯爵を名乗り、1307年の妻の死とともにグロスター伯爵を名乗る権利を失った[8]。ラルフは1306年にアソル伯爵に叙されたが2か月後に返上、1309年にモンザーマー男爵として議会に招集された[9]。 ヒュー・ド・オードリー(c.1291–1347)は1317年に裕福な相続人マーガレット・ド・クレア(1293–1342)と結婚した後[10]、1320年代にル・ディスペンサー家と争い[11]、1337年3月16日にグロスター伯爵に叙された[12]。しかし妻との間で息子をもうけず、爵位は1代で廃絶した[13]。 第2代ル・ディスペンサー男爵トマス・ル・ディスペンサー(1373–1400)は1397年9月29日にグロスター伯爵に叙されたが、1399年11月3日に剥奪され、1400年1月13日に処刑された[14]。 グロスター伯爵(1121年)
グロスター伯爵(1297年)
グロスター伯爵(1337年)
グロスター伯爵(1397年)
出典
参考文献
関連項目 |
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