ゲイリー・ペイトン2世
ゲイリー・ドウェイン・ペイトン2世(Gary Dwayne Payton II, 1992年12月1日 - )は、アメリカ合衆国ワシントン州シアトル出身のプロバスケットボール選手。NBAのゴールデンステート・ウォリアーズに所属している。ポジションはポイントガード。 父はバスケットボール殿堂入りの名ポイントガードで、シアトル・スーパーソニックスなどで活躍したゲイリー・ペイトンである。 経歴2012年にユタ州のソルトレイク・コミュニティーカレッジに入学したが、2014年に父の母校にあたるオレゴン州立大学に転校[1]。Pac-12の1stチーム、ディフェンスチーム、最優秀守備選手に2年連続で選出され、親子2代揃ってチームをNCAA男子バスケットボールトーナメントに導く快挙を達成する。更に、年間最優秀ポイントガードに贈られるボブ・クージー賞候補の最終選考に残るなど[2] 、同大学の中心選手として活躍したが、2016年のNBAドラフトでは、どのチームからも指名を受けることは出来なかった。 同年夏のNBAサマーリーグでヒューストン・ロケッツの一員として参加。9月23日にロケッツとトレーニングキャンプに関する契約を締結[3]。28日に正式に選手契約を結んだ[4] が、開幕ロースターに残ることが出来ず、10月24日に解雇[5]。解雇後に傘下のリオグランデバレー・バイパーズに送られ、NBA入りを目指すことになった[6]。そしてDリーグで51得点を記録したペイトンは、2017年4月1日にミルウォーキー・バックスと契約し、NBA入りが実現した[7]。 2017年10月14日、バックスから解雇されるが、3日後の17日に再びバックスとツー・ウェイ契約を結ぶが、12月18日に再び解雇された[8]。 2018年1月15日、ロサンゼルス・レイカーズとツー・ウェイ契約を結んだ[9]。シーズン最終戦となった4月12日のロサンゼルス・クリッパーズ戦でキャリアハイとなる25得点を記録した[10]。 2019年12月23日、ワシントン・ウィザーズに移籍。 2021年4月8日、ゴールデンステート・ウォリアーズと10日契約を結んだ。4月19日にウォリアーズと2度目の10日契約を締結。そのままシーズン終了までの契約を勝ち取る。2021-22シーズンも開幕ロースターを勝ち取り、10月24日のサクラメント・キングス戦では、ベンチ出場ながら10得点を記録し、敵地で119-107の勝利に貢献した[11]。シーズンが進むにつれて出場時間を増やした。カンファレンスセミファイナルのメンフィス・グリズリーズ戦で肘を骨折して、ファイナルまで欠場した[12]。チームが勝ち進む中、地域貢献に尽力した選手に贈られるNBAコミュニティ・アシストアワードを受賞した。チームはNBAファイナルに進み、第2戦から復帰。出場5試合で、フィールドゴール成功率59.1%、平均7得点を記録するなど[13]、ベンチからの貴重な戦力としてチームの優勝に貢献[14]。父のシニアとともにチャンピオンリングを獲得したこととなった。 シーズン終了後、FAとなると、ポートランド・トレイルブレイザーズと3年総額2600万ドルの契約を結んだ[14]。開幕後はオフの手術の影響で35試合を欠場し出遅れたが、年明けに復帰した。 トレードデッドライン当日の2月9日、ホークス、ピストンズ、ウォリアーズ、ブレイザーズが絡む四角トレードでジェームズ・ワイズマン、2巡目指名権5つとの交換によりウォリアーズに復帰するというトレードがまとまったが、メディカルチェックの際に故障が発覚。ブレイザーズはこのことを隠していたとしてトレードは破談になりかけたが、結局ウォリアーズが怪我を承知の上で獲得するということで話がまとまり、ウォリアーズに復帰した。2023-24シーズン、故障の影響で僅か44試合の出場に終わった[15]。 2024-25シーズン、3月11日のポートランド・トレイルブレイザーズ戦でキャリアハイを更新する26得点を記録した[16]。 個人成績
NBAレギュラーシーズン
プレーオフ
カレッジ
家族ペイトンには4人の兄弟がおり、その中に「ゲイリー・ペイトン・ジュニア」という兄がいる。そのため自身は「ゲイリー・ペイトン2世」と名付けられた[要出典]。 父親の番号という事もあって背番号20を避けており、多くのチームで背番号0を選んでいる。なお、ウィザーズで20を着けていた理由は「既に20のユニフォームが用意されていて断れなかったから」との事である。[要出典] オレゴン州立大学でシニアの背番号20は永久欠番になっており、2世は背番号1を着けていた。父親も息子の応援のため度々観戦に訪れていたが、2世にとって大学最後のホームゲームとなるシニアデーのワシントン州立大学戦でサプライズとして背番号20のユニフォームで登場して父親を初めとした観客を驚かせた。(試合は2世の13得点の活躍もあって勝利)次のUSC戦からは再び背番号1に戻したため1試合限りのサプライズだったが、オレゴン州立大学で最後に背番号20を着けた選手はゲイリー・ペイトン・シニアからゲイリー・ペイトン2世に更新された。[要出典] 脚注
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