ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー (アルバム)
『ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー』(Going to a Go-Go) は、ザ・ミラクルズの1965年のアルバムで、グループ名が「スモーキー・ロビンソンとザ・ミラクルズ (Smokey Robinson and the Miracles)」[3]とクレジットされた最初のアルバム。本作には、「ウー・ベイビー・ベイビー」、「トラックス・オブ・マイ・ティアーズ」、「ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー」、「マイ・ガール・ハズ・ゴーン」と、トップ20入りしたヒット曲4曲が収録されている。このアルバムは、ザ・ミラクルズのリード・シンガーであるスモーキー・ロビンソンが、フランク・ウィルソン、ウィリアム・ミッキー・スティーヴンソンとともにプロデュースした。 ザ・ミラクルズのリード・シンガーであったスモーキー・ロビンソンがおもにプロデュースしたアルバムである『ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー』には、グループのメンバーであったロビンソン、ロナルド・ホワイト、ボビー・ロジャース、ピート・ムーア、マーヴ・タープリンが共作した楽曲がフィーチャーされている。 『ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー』は、ザ・ミラクルズにとって、アルバム・チャート Billboard 200 のトップ10に入った唯一のスタジオLPであり、40週チャートにとどまり、最高8位まで上昇した。また、『ビルボード』誌のR&Bアルバム・チャートでは首位に達した。ザ・ミラクルズのアルバム『ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー』は、ローリングストーン誌が選ぶ「歴代最高のアルバム」500選において271位に入り[4]、2012年の改訂版では273位、2020年の改訂版では412位となった[5][6]。 『ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー』は、ザ・ミラクルズのアルバム『アウェイ・ウィ・ア・ゴーゴー (Away We a Go-Go)』とカップリングで、2002年にリイシューCDが出た。 曲づくりロビンソンは、モータウンのソングライターであったハル・デイヴィスとフランク・ウィルソンが書いた「気まぐれベイビー (My Baby Changes Like the Weather)」を除いて、すべての楽曲を単独または共作で書いた。ロビンソンがおもに共作したパートナーは、幼なじみで、一緒にザ・ミラクルズを立ち上げたウォレン・"ピート"・ムーアで、アルバムに収録された12曲のうち7曲が共作されている。その他、共作者に名を連ねたのは、ザ・ミラクルズのメンバーであるボビー・ロジャース、ロナルド・ホワイト、マーヴ・タープリンに加え、1曲に関わったモータウンのソングライターでプロデューサーのウィリアム・ミッキー・スティーヴンソンであった。ザ・ミラクルズのリードギタリストであるマーヴ・タープリンは「トラックス・オブ・マイ・ティアーズ」冒頭の印象的なコード展開や[7]、「ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー」や「マイ・ガール・ハズ・ゴーン」のギター・リフを生み出した[8]。 リリース『ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー』は、1965年11月1日にリリースされ[1]、アルバム・チャートである Billboard 200 で8位、『ビルボード』誌のR&Bアルバム・チャートでは首位に立った。本作は、ザ・ミラクルズのスタジオLPとしては、唯一トップ10入りした作品である(同じくトップ10入りしたザ・ミラクルズのアルバム『Greatest Hits Vol. 2 』はスタジオLPではなくコンピレーションであった)。 このアルバムからシングル化された「ウー・ベイビー・ベイビー」、「トラックス・オブ・マイ・ティアーズ」、「ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー」、「マイ・ガール・ハズ・ゴーン」は、いずれもトップ20入りを果たした。「チュージー・ベガー」は『ビルボード』誌のR&Bシングル・チャートでは35位まで浮上した。「フォーク・イン・ザ・ロード」は、全国各地で局地的に強く支持されたヒットとなり、ザ・ミラクルズのライブ・ショーでしばしば取り上げられることになった。 『ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー』は、ザ・ミラクルズのアルバム『アウェイ・ウィ・ア・ゴーゴー (Away We a Go-Go)』とカップリングで、2002年にリイシューCDが出た。
パーソネル
プロデューサー
脚注
関連項目外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia