サルギス・サルグシアン
サルギス・サルグシアン(Sargis Sargsian, アルメニア語:Սարգիս Սարգսյան, 1973年6月3日 - )は、アルメニア・エレバン出身の男子プロテニス選手。ATPツアーでシングルス1勝、ダブルス2勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス38位、ダブルス33位。身長180cm、体重75kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。 来歴サルグシアンは4大大会の男子シングルスで、2003年全豪オープンと2004年全米オープンで4回戦に進出し、全仏オープンとウィンブルドン選手権でも複数回の3回戦進出を果たしている。男子テニス国別対抗戦デビスカップでも、アルメニアが1996年に初参加した時からずっとデビスカップアルメニア代表を支え、当地のスポーツ史に大きな足跡を残した。 サルグシアンは7歳からテニスを始め、アルメニアのスポーツ選手育成機関で学んだ後、1993年からアメリカに留学した。アリゾナ州立大学の学生テニス選手だった頃、サルグシアンは同大学で最初のNCAAシングルス選手権優勝者になっている。1995年にプロ入りし、主催者推薦で初出場した全米オープンでいきなり3回戦に進出した。翌1996年、アルメニアはデビスカップに初参加を果たす。5月下旬にイスタンブールで行われた最下位グループヨーロッパ・アフリカゾーン・グループ3の総当たり戦が、アルメニアのデビスカップ初挑戦であった。1997年7月、サルグシアンはテニス殿堂選手権で初のATPツアー決勝に進出し、ブレット・スティーブンを7-6, 4-6, 7-5で破り、ツアー初優勝を達成した。 それから、サルグシアンは全仏オープンで1998年~2000年の3年連続3回戦進出を果たす。この3年間、彼はティム・ヘンマン、ウェイン・フェレイラ、チャン・シャルケン、アルノー・クレマンなどの強豪選手を撃破し、1999年の3回戦では大会前年優勝者のカルロス・モヤと対戦した。2001年には、ウィンブルドン選手権で初の3回戦進出を果たしている。 30歳を迎えた2003年、サルグシアンはテニス経歴で最も充実した年を送った。この年、彼はツアーでシングルス2大会に準優勝、ダブルスで2大会優勝、全豪オープン4回戦進出などの戦績を記録する。それまで全仏オープン・ウィンブルドン・全米オープンの3回戦に勝ち上がってきたサルグシアンだが、この全豪オープンで初の4回戦進出を決めた。3回戦で地元オーストラリアのマーク・フィリプーシスを破ったサルグシアンは、初進出の4回戦でウェイン・フェレイラに3-6, 4-6, 6-3, 3-6で敗れた。その後ウィンブルドン選手権でも2年ぶり2度目の3回戦に進出するが、フアン・カルロス・フェレーロに敗退する。同年の秋に、サルグシアンはロシアでの2大会で決勝に進んだが、9月末のクレムリン・カップ決勝ではテーラー・デントに、10月のサンクトペテルブルク・オープンではグスタボ・クエルテンに敗れ、6年ぶりとなるツアー2勝目のチャンスを逃した。 2004年のシーズンは、全米オープンで4回戦進出があった。1回戦でアレックス・コレチャ、2回戦でアテネ五輪の単複金メダルを獲得したニコラス・マスーを破って勝ち進んだサルグシアンは、4回戦でアンドレ・アガシに3-6, 2-6, 2-6のストレートで完敗した。 サルグシアンはオリンピックのアルメニア代表選手としても、1996年アトランタ五輪と2000年シドニー五輪、2004年アテネ五輪の3度出場を果たしている。アトランタではダニエル・ネスターとの1回戦に勝利しているが、シドニーとアテネでは初戦敗退に終わっている。 2005年ウィンブルドン選手権1回戦でニコラス・マスーに敗れた試合が、彼の最後の4大大会出場になった。2006年7月、デビスカップでイワン・ドディグに敗れた試合を最後に、サルグシアンは33歳で現役を引退した。 ATPツアー決勝進出結果シングルス: 3回 (1勝2敗)
ダブルス: 5回 (2勝3敗)
4大大会シングルス成績
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
※: 1997年全米2回戦の不戦勝は通算成績に含まない 外部リンク
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