シャダイターキン
シャダイターキン(1966年3月16日 - ?)は、日本中央競馬会に所属していた競走馬・繁殖牝馬。1969年のオークスを優勝。 社台ファーム千葉(現在の社台ファーム)が生産した初期の活躍馬で、ガーサントの代表産駒の一頭。 馬齢は2000年まで使用されていた旧表記(数え年)を用いる。 経歴3歳上の全兄に平地と障害でそれぞれ重賞を勝ち、計23勝を挙げたタイシュウ、2歳上の半兄に中距離重賞4勝のハクセンショウがいる血統で、尾形藤吉厩舎ではメジロアサマ・ワイルドモア・ミノル・ハクエイホウの「尾形四天王」と同期同厩であった。 戦績1968年(3歳)7月20日の函館オープンからデビューし、保田隆芳騎乗で1番人気に応える。2戦目は重賞昇格前の函館3歳Sで4着、鞍上を保田に戻した札幌3歳特別(110万下)はヒデコトブキをハナ差下し、続くオープンも不良馬場を苦にせず連勝。その後3ヶ月休養すると調子が狂い、暮れの中山3歳牝馬Sは9着に終わる。1969年(4歳)に入っても連敗し、クイーンCからは森安重勝に交代。その後も2戦続けて完敗の3着と評価を落としてしまうが、シャダイターキンはここから巻き返す。桜花賞には間に合わず、オークストライアルの4歳牝馬特別 (東)では完敗したものの、同厩のシャンデリーの2着と好走。本番は桜花賞馬ヒデコトブキが出走を回避し、9頭立ての寂しいオークスとなった。桜花賞2着のトウメイが1番人気、2番人気に同厩のシャンデリーが支持され、シャダイターキンは5番人気であった。レースでは最後方から徐々に内から進出し、直線でトウメイを競り落とすと、ライトパレーをハナ差で下して優勝。2着馬との着差に史上初めてハナ差が記録され、社台ファームに初めての優駿牝馬制覇をもたらした。その後は同年秋の牝馬東京タイムズ杯3着が最高と再び低迷し、1970年(4歳)は強力な古牡馬との対決を余儀無くされる。優駿牝馬で3着のトウメイが急成長していったのに対し、シャダイターキンは連戦連敗を続けるが、6月の中山オープンでアカネテンリュウの2着と健闘。夏は3歳時以来2年ぶりの北海道シリーズに参戦し、4頭立てのライラックSで池上昌弘を背に優駿牝馬以来1年ぶりの勝利を挙げるが、結局このレースを最後に引退。 引退後引退後の1971年から繁殖入りし、直仔に牝馬東タイ杯勝ち馬ダイナアルテミス、レッツゴーターキンの母となるダイナターキンを輩出。この2頭を含む7頭が後継牝馬となり、そのどれもが牝系を伸ばし、その中にはブラウンビートル・ディアジーナ・ヴァルツァーシャルといった重賞勝ち馬が誕生。1986年に用途変更となった。 競走成績
血統表
脚注外部リンク |
Portal di Ensiklopedia Dunia