ショウ・ブラザーズ
ショウ・ブラザーズ(邵氏兄弟有限公司/Shaw Brothers)は、香港の映画会社。1960年代から1970年代末に香港映画の黄金時代を築いた。香港の民営テレビ局「無綫電視」(電視廣播有限公司)の筆頭株主でもある。 歴史誕生邵兄弟の長兄の邵酔翁が1925年に上海で設立した「天一影片公司」が、起源である。1937年に邵邨人が責任者となり、「南洋影片公司」と改名。日中戦争勃発後に香港に拠点を移し、戦後に「邵氏父子」と改名した。 1957年にランラン・ショウ(邵逸夫)が責任者となると、「邵氏父子」は映画館の運営と配給を行う会社とされ、新たに製作会社「邵氏兄弟」(ショウ・ブラザーズ)が設立された。 1961年、新界清水湾半島(クリアウォーター・ベイ)大埔仔に邵氏片場(ショウ・スタジオ)を建設。「邵氏影城」と呼ばれる東洋一の巨大スタジオからスケールの大きな映画を続々と世に出し、香港映画の黄金時代を築き上げる。ショウ・スタジオは映画に必要なものすべてと、製作から俳優、エキストラ向けの寮まで完備した巨大なスタジオで、この頃の同社は「東洋のハリウッド」と呼ばれた。
発展のエネルギー
帝国の落日ショウ・ブラザースを離れたレイモンド・チョウ(鄒文懐/Raymond Chow)はゴールデン・ハーベストを設立し、古巣を激しく追い上げる。とくに、ゴールデン・ハーベストと契約したブルース・リー、ジャッキー・チェンの爆発的ヒットに対し、1982年に公開された『ブレードランナー』[1]など、様々な海外の映画に出資して国際化を試みる。 かつての勢いを失ったショウ・ブラザーズは低迷を続けた一方、この頃にはテレビの影響も無視できなくなり、ランラン・ショウは、自身が経営するテレビ局である無綫電視(TVB)に経営の軸足を移すこととなる。1985年にはラミー・ショウが死去。同時期にショウ・スタジオも映画製作を停止してTVBのスタジオとなり、香港映画界の黄金時代を築いた帝国も、ついに終焉を迎えることになった。 多くの作品が日本では紹介されないままだったが、1999年に同じ香港のセレスティアルピクチャーズ (Celestial Pictures)が760本もの作品の権利を買いつけたため、膨大なライブラリーが公開されることになった。日本ではこれを受け、2004年からキングレコードより『ショウ・ブラザース 黄金のシネマシリーズ』と題してDVDがリリースされた。 映画製作の再開2008年、かつてショウ・スタジオがあった大埔仔に近い清水湾半島將軍澳(ジャンク・ベイ)に邵氏影城を建設。チャイナ・スターの製作拠点となった。 2016年に、中華人民共和国のメディア王にして中国共産党党員[2]である黎瑞剛が株式の30%を保有する筆頭株主となり、会長(董事局主席)に就任して映画製作を再開させた[3]。 黄金期を支えた監督たち
巣立ったスターたち
脚注
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