ショーン・モリマンド
ショーン・ピーター・モリマンド(Shawn Peter Morimando, 1992年11月20日 - )は、アメリカ合衆国・ニューヨーク州カナンデイグア出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。CPBLの富邦ガーディアンズ所属。 経歴プロ入りとインディアンス時代2011年のMLBドラフト19巡目(全体578位)でクリーブランド・インディアンスから指名され、8月12日に契約を結び入団。 5年目の2015年に傘下AA級アクロン・ラバーダックスで28試合に先発登板して10勝12敗、防御率3.18の成績を残し、同年のシーズンオフにルール5ドラフトでの流出を防ぐ目的でマイク・クレビンジャーらと共に40人枠入りを果たした。 2016年は当初40人枠を外れ再び傘下AA級アクロンでプレーしていたが、7月2日に40人枠入りしメジャー初昇格。同日の対トロント・ブルージェイズ戦(ロジャース・センター)でメジャー初登板を果たした。この日のインディアンスはリリーフ投手のザック・マカリスターが先発を務めた所謂ブルペンデーであり、モリマンドは3回から3番手として登板し3.2回を2失点の投球内容だった。同年はメジャーでは2試合に登板し、防御率11.57の成績を残した。 2017年以降は傘下AAA級コロンバス・クリッパーズで主に登板したが、メジャー再昇格は果たせなかった。 ブルージェイズ傘下時代2018年7月1日にインディアンスから放出され、8日後の7月9日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ。主に傘下AAA級バッファロー・バイソンズでプレーしたが、メジャー昇格は果たせなかった。 2019年シーズンオフにブルージェイズからFAとなった 2020年は独立リーグのアトランティックリーグに所属するランカスター・バーンストーマーズと契約。しかし同年シーズンは新型コロナウイルス感染症の世界的流行の影響でリーグの全試合が中止されたため、試合出場の機会がないままオフにFAとなった。シーズンオフにはオーストラリアン・ベースボールリーグ(ABL)に加盟するキャンベラ・キャバルリーと契約し、8試合に登板して3勝3敗、防御率2.57の成績を残した。 マーリンズ時代2021年2月16日にマイアミ・マーリンズとマイナー契約を結んだ。開幕後は傘下AAA級ジャクソンビル・ジャンボシュリンプでプレーしていたが、ジョーダン・ホロウェイの故障に伴い5月22日にメジャー昇格を果たした。同年は4試合に登板したが、ブルペンデーとなった6月9日の対アトランタ・ブレーブス戦(ローンデポ・パーク)で5回無失点と好投した以外は登板全試合で複数失点を喫し、防御率9.58に終わった。同年シーズン終了後の9月29日にマーリンズからFAとなった。 中信兄弟時代(第1期)2021年10月8日、退団したガブリエル・イノーアの代替選手として、ホセ・バルデスと共に中華職業棒球大聯盟(CPBL)に加盟する中信兄弟と契約したことが発表された[1]。登録名は象魔力。契約後はシーズン終盤の4試合に登板して防御率5.68の成績を残し、同年の台湾シリーズの出場選手にも選ばれた。 2022年は15試合(うち先発14試合)に登板して7勝5敗、防御率2.56の成績を残していたが、7月10日に退団が発表された。 SSG時代2022年7月11日、退団したイバン・ノバの代替選手として、KBOリーグに加盟するSSGランダースと契約したことが発表された[2]。登録名は모리만도。契約後はレギュラーシーズンでは7勝を挙げたが、韓国シリーズでは2敗を喫した。シーズン終了後に退団した。 中信兄弟時代(第2期)2023年より中信兄弟と再び契約した[3]。シーズン初登板は6回を無失点、4奪三振、1四球と安定した内容だったが、左肘に違和感を覚えたため検査をした結果、左肘の腱が断裂していることが判明。5月12日にトミー・ジョン手術を受け[4]、以降はリハビリのためシーズン終了となった。 2024年は8月30日に515日ぶりの復帰登板を果たしたが、その翌日となる8月31日に自由契約となった[5]。オフはオーストラリアン・ベースボールリーグ(ABL)のメルボルン・エイシズに入団し、9試合に先発登板して3勝2敗、防御率3.11という成績を挙げた。 富邦時代2025年1月10日に富邦ガーディアンズと契約した。登録名は魔力藍[6]。 詳細情報年度別投手成績
記録
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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