シルバー・キング
シルバー・キング(Silver King、本名:セサール・ゴンザレス(Cesar Gonzalez)、1968年1月9日 - 2019年5月11日)は、メキシコのプロレスラー。コアウイラ州トレオン出身[1]。 父はドクトル・ワグナー。兄はドクトル・ワグナー・ジュニア。元妻は女子プロレスラーのソチ浜田。息子はシルバー・キング・ジュニア。 来歴1987年10月、アンヘル・ブランコ・ジュニアと共にドクトル・ワグナー・ジュニアのリングネームで全日本プロレスに参戦し、初来日する。 エル・テハノとロス・カウボーイズ(Los Cowboys)を結成。1991年3月、ユニバーサル・プロレスリングに来日。同年7月にはWWA世界タッグ王座を戴冠。 タッグ解消後の1993年10月、UWA世界ライトヘビー王座を奪取。 1994年1月、EMLLに移籍し、CMLL世界ヘビー級王座を獲得。同年、ロス・カウボーイズを復活しCMLL世界タッグ王座を獲得。また、IWA・JAPANにも参戦し、エル・テハノとともにIWA世界タッグ王座を獲得。1997年2月、兄のドクトル・ワグナー・ジュニアと組んでドス・カラス & ウルティモ・ドラゴンから勝利してCMLL世界タッグ王座を奪取。同年10月、WCWに参戦してLWoにメンバー入り。 2001年、CMLLに復帰。同年1月、新日本プロレスにて3代目ブラック・タイガーとして来日。ケンドー・カシンとタッグを組んで活動。 2003年3月、ドクトル・ワグナー・ジュニア & ウニベルソ・ドスミルと組んでCMLL世界トリオ王座を奪取。以降、インディー団体であるIWRGを主戦場にする。10月、全日本プロレスにドクトル・ワグナー・ジュニアと共に参戦。 2004年3月にもドクトル・ワグナー・ジュニアと再び参戦。 2005年、新日本プロレスにてロッキー・ロメロがブラック・タイガーを継承してデビューしたため、ブロンコのリングネームでロス・ゲレロス・デル・インフェルノにメンバー入りして活動。ロス・ゲレロス・デル・インフェルノ脱退後、負傷により長期間の欠場を経てシルバー・キングのリングネームで復帰。 2007年10月18日、全日本プロレスにて世界ジュニアヘビー級王者である中嶋勝彦に挑戦するも無効試合となり、VOODOO-MURDERSにメンバー入りをする。 2008年3月1日、全日本プロレスにて中嶋勝彦に再び挑戦して勝利し、世界ジュニアヘビー級王座を奪取した。 2010年6月24日、IWRGにてIWRGインターコンチネンタルヘビー級王者であるマスカラ・アニョ・ドスミル・ジュニアに挑戦して勝利し、ベルトを奪取した。 2019年3月4日 ロッシー小川、ウルティモドラゴンらによる後楽園ホールでのLUCHA LIBRE ESTRELLA FIESTAに出場する為来日。メインイベントでフェルサ・ゲレーラ、ディアマンテ と組み、エル・イホデル・サント、ウルティモドラゴン、獅龍組と対戦 。5月11日、イギリスに遠征し、ロンドンでのフベントゥ・ゲレーラとの試合中に心筋梗塞を起こしたことが原因で死亡[2][3]。51歳没。 その他幼少の頃から、兄のドクトル・ワグナー・ジュニアと共に父のドクトル・ワグナーによってルチャの英才教育を施される。このためプロレスに限らず、スポーツ全般を得意としていた。 初来日時は兄のコスチュームを着用し、ドクトル・ワグナー・ジュニアの名でデビューしている。 2006年のアメリカ映画『ナチョ・リブレ 覆面の神様』に悪役レスラーのラムセス役で出演した。生涯最後の試合となった2019年5月11日のイギリス遠征の試合ではそのラムセスのキャラクターに扮していた[4]。 得意技
タイトル歴
脚注
外部リンク
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