シンデレラドリーム ミッドナイト☆パーティー
シンデレラドリーム ミッドナイト☆パーティー(Cinderella Dream Midnight☆Party、通称ミッドナイト☆パーティー・略称ミッドナイトまたはM☆P)はTBSラジオ他で1993(平成5)年10月4日(実際は5日)から1995(平成7)年10月6日(同7日)の毎週月曜~金曜24:00~27:00(火曜~土曜0:00~3:00)に放送されたラジオ番組。 概要TBSラジオが次の歌手、女優、アイドルを育成するために1993年夏に企画、9月に第1回オーディションを実施し、日本全国から約6000人の10代の女性が応募した中から16人が合格、10月から「パックインミュージック21」の後を受けてスタートした(最初のレギュラーパーソナリティーは7人)。11月に最初の番組主催イベントを開催して以来、1995年9月の放送終了まで毎月イベントを開催した(しかも参加者を募集、抽選で無料招待)。番組スタートにあたっては「2wayコミュニケーション」をコンセプトにあげたため、番組スポンサー(TBSラジオのみ)である三菱電機からFAX付電話機をリスナーに1000台プレゼントした(番組開始後にもプレゼントを実施)。当選者は一斉同報サービス・Fネットに加入、構成を担当していた芳賀健治の編集による「ミッドナイト☆パーティー通信」なる番組(裏)情報が毎週送られてきた。また、番組への参加はラジオで告知されるFAX番号とは別に当選者専用の番号が用意されていた(FAXの不調時等は専用番号を公開し代替としても使っていた)。ちなみに公開FAX番号は番組終了後も消滅する事なく、現在もTBSラジオの各番組宛の番号として使われている[1]。 1994年に第2回オーディションを実施し5人が合格(応募人数は不明)、11月には木曜26:30から30分間TV版!ミッドナイト☆パーティーとしてTBSテレビでラジオと同時生放送をスタートした。1995年にも第3回オーディションを実施する予定だったが、10月改編で終了した。後番組は、かつてTBSラジオの深夜番組で一世を風靡したコサキン(小堺一機・関根勤)や伊集院光がパーソナリティーを務める「UP'S」と声優が出演したアニラジ「ファンタジーワールド」がスタートした(前者は後の「JUNK」へとつながる)。一方、平日帯の深夜帯を明け渡したミッドナイト☆パーティーは、平日夜の帯番組に鞍替えする宮川賢の番組に替わり、土曜27:00から「ウィークエンド・ミッドナイト☆パーティー」を1996年4月までの半年間放送した。 1期生(第1回オーディション合格者)16人と2期生(第2回オーディション合格者)5人合わせて21人、1996年の「ウィークエンドミッドナイト☆パーティー」番組終了時には14人シンデレラとして残っていたが、オーディションを受けた当時はそれなりの夢をもって合格し、将来を期待されていたにもかかわらず、番組終了後はうまくいかないメンバーも多く、結局オーディションから5年以内に引退していったシンデレラが多い。それでも、番組終了から10年たった現在でもタレント・リポーター、ラジオ局に就職しディレクター、作家と多方面で活躍しているメンバーもいる。 2002年に多摩川に出現したアゴヒゲアザラシ「タマちゃん」で新語・流行語大賞を受賞した黒住祐子は、この番組の出身である。 番組の冠である『シンデレラドリーム』は、オーディションが第1章、「ミッドナイト☆パーティー」シンデレラが第2章、シンデレラ卒業または番組終了した後は第3章となっている。 番組テーマ曲は坂井美唯子の「MIDNIGHT PARTY」で、TV版でも使用。 パーソナリティー★印は1993年10月の放送開始時にメインだったメンバー 太字は1995年10月番組終了時まで残ったメンバー シンデレラドリームオーディション第1期生1993年9月12日選出
シンデレラドリームオーディション第2期生1994年9月27日選出 曜日別パーソナリティーの変遷月曜深夜
火曜深夜
水曜深夜
木曜深夜
金曜深夜
放送ネット局
主なコーナー黒住祐子&蛭田有希子
★は黒住祐子がメイン担当の時のコーナー、☆は蛭田有希子がメイン担当の時のコーナー
坂井美唯子
額村麻裕
東京深夜探検隊
◆は橋口育代時代のコーナー(1993年10月~1994年8月)
高田裕子
古賀美智子
松宮麻衣子
平松まゆき
平塚優子
中上千鶴
シンデレラドリーム実績番組オンエア内企画
イベント(記載がないものは場所はTBSホール(現在は赤坂Bizタワー)または不明)
ディスコグラフィー
出版本
掲載雑誌
掲載新聞
歴史シンデレラドリーム第1章
シンデレラドリーム第2章
シンデレラドリーム第3章
姉妹番組
脚注
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