シーザー・ヒメネス
シーザー・エンリケ・ヒメネス(Cesar Enrique Jimenez, 1984年11月12日 - )は、ベネズエラ・スクレ州クマナ出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。イタリアンベースボールリーグ(IBL)のT&Aサンマリノに所属。 経歴プロ入りとマリナーズ時代2001年7月2日にシアトル・マリナーズと契約。 2002年は傘下のルーキー級アリゾナリーグ・マリナーズとA-級エバレット・アクアソックスでプレー。A-級では8試合に登板し、2勝1敗1セーブ・防御率2.70だった。 2003年はA級ウィスコンシン・ティンバーラトラーズで28試合に登板し、8勝11敗・防御率2.94だった。 2004年はA+級インランド・エンパイア・シックスティシクサーズで43試合に登板し、6勝7敗6セーブ・防御率2.32だった。 2005年はAA級サンアントニオ・ミッションズとAAA級タコマ・レイニアーズでプレー。AA級サンアントニオでは45試合に登板し、3勝5敗4セーブ・防御率2.62だった。オフの11月18日にマリナーズとメジャー契約を結び[1]、40人枠入りした。 2006年3月15日にAAA級タコマへ異動し[2]、開幕をAA級サンアントニオで迎えた。3試合に登板後、AAA級タコマへ昇格。24試合に登板し、5勝10敗3セーブ・防御率4.36だった。9月8日にメジャーへ昇格し[3]、9月11日のトロント・ブルージェイズ戦でメジャーデビュー。4点ビハインドの9回表に登板し、1回を無安打無失点に抑えた[4]。この年は4試合に登板し、防御率14.73だった。 2007年2月21日にマリナーズと1年契約に合意したが、4月1日に左肘の故障で60日間の故障者リスト入りした[5]。6月にルーキー級アリゾナリーグで復帰し、7月にAAA級タコマへ昇格。AAA級タコマでは16試合に登板し、2勝1敗2セーブ・防御率3.51だった。この年はメジャーへ昇格することなくシーズンを終えた。 2008年2月28日にマリナーズと1年契約に合意[6]。3月19日にAAA級タコマへ異動し[7]、開幕をAAA級タコマで迎えた。AAA級タコマでは29試合に登板し、1勝3敗3セーブ・防御率3.55だった。7月1日にフェリックス・ヘルナンデスが故障者リスト入りしたため、メジャーへ昇格[8]。昇格後は31試合に登板し、0勝2敗・防御率3.41だった。 2009年3月2日にマリナーズと1年契約に合意。4月1日に上腕二頭筋の故障で15日間の故障者リスト入りし[9]、5月26日に60日間の故障者リストへ異動[10]。ルーキー級アリゾナリーグとAAA級タコマでプレーしていたが、メジャーへ昇格することはなかった。AAA級タコマでは8試合に登板し、0勝1敗・防御率4.70だった。オフの10月29日に40人枠から外れ、AAA級タコマへ降格した[11]。 2010年はルーキー級アリゾナリーグとAA級ウェストテン・ダイヤモンドジャックスでプレー。AA級ウェストテンでは7試合に登板し、1勝0敗・防御率1.00だった。オフの11月19日にマリナーズと再びメジャー契約を結び[12]、40人枠入りした。 2011年2月21日にマリナーズと1年契約に合意した[13]が、3月29日に40人枠を外れ、AAA級タコマへ降格[14]。開幕をAAA級タコマで迎えた。AAA級タコマでは43試合に登板し、5勝4敗1セーブ・防御率4.06だった。9月1日にマリナーズと再びメジャー契約を結び[15]、9月2日のオークランド・アスレチックス戦で3年ぶりのメジャー登板を果たした[16]。9月21日のミネソタ・ツインズ戦では2点ビハインドの5回裏2死から登板し、1.1回を1安打無失点に抑えると、6回表にマリナーズが勝ち越したため、メジャー初勝利を挙げた[17]。この年は8試合に登板し、1勝0敗・防御率5.40だった。 2012年3月22日に40人枠から外れ、AAA級タコマへ降格した[18]。この年はルーキー級アリゾナリーグとAAA級タコマでプレー。AAA級タコマでは23試合に登板し、2勝2敗・防御率5.75だった。オフの10月4日にFAとなった。 フィリーズ時代2012年12月5日にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結んだ。 2013年開幕前の3月に第3回WBCのベネズエラ代表に選出された[19]。 シーズンでは傘下のAAA級リーハイバレー・アイアンピッグスで開幕を迎え、36試合に登板して4勝2敗3セーブ・防御率3.12だった。8月26日にフィリーズとメジャー契約を結んだ[20]。この年は19試合に登板し、1勝1敗、防御率3.71だった。オフの10月16日に40人枠を外れ、AAA級リーハイバレーへ降格した。10月24日にFAとなったが、11月15日にフィリーズとマイナー契約で再契約した[21]。 2014年はAAA級リーハイバレーで開幕を迎え、6月1日にジェフ・マンシップが故障者リスト入りしたため、フィリーズとメジャー契約を結んだ。昇格後は2試合に登板し、いずれの試合も無失点に抑えたが、6月6日に戦力外となり[22]、6月8日にAAA級リーハイバレーへ降格した。8月1日にクリフ・リーが故障者リスト入りしたため、フィリーズと再びメジャー契約を結んだ。 2015年1月29日にチャド・ビリングズリーの加入に伴ってDFAとなり[23]、2月10日にAAA級リーハイバレーへ降格した。開幕はメジャーで迎えたが、4月12日にDFAとなり、17日にAAA級リーハイバレーへ降格した。その後、8月12日にメジャーへ昇格して2試合を無失点に抑えるも、21日に再び戦力外となった[24]。 ブルワーズ時代2015年8月21日にウェーバーを経てミルウォーキー・ブルワーズへ移籍した[25]。 イタリア球界時代2015年12月5日にイタリアンベースボールリーグ(IBL)のリミニ・ベースボールクラブと契約を結んだ[26]。 2017年はネットゥーノ・ベースボール・シティでプレー。 詳細情報年度別投球成績
背番号
代表歴脚注
関連項目外部リンク
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