ジェイク・ブリガム
ジェイコブ・ダニエル・ブリガム(Jacob Daniel Brigham、1988年2月10日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州ウィンターガーデン出身のプロ野球選手(投手)。 NPBでの登録名は「ジェイク・ブリガム」[1]。CPBLでの登録名は「布里悍」。 叔父に捕手としてシカゴ・ホワイトソックスで活躍したロン・カーコバイスがいる[2]。 経歴プロ入りとマイナー時代2006年のMLBドラフト6巡目(全体178位)でテキサス・レンジャーズに指名され、プロ入り。2008年にはトミー・ジョン手術を受けたため、全休している[3]。 2012年7月31日にジオバニー・ソトとのトレードで、シカゴ・カブスへ移籍した[4]。11月20日にバレット・ルーおよび後日発表選手とのトレードでレンジャーズへ復帰したが、11月30日にFAとなった[5]。12月6日にマイナー契約を結び、2013年のスプリングトレーニングに参加した[5]。2013年はメジャー昇格はなく、オフの11月4日にFAとなった[5]。 2013年11月20日にピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結び、2014年のスプリングトレーニングに参加した[5]。同年もメジャー昇格はなくオフにFAとなった。 ブレーブス時代2014年11月20日、アトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ[5]。2015年6月27日にメジャー契約を結びロースター入り[5]、6月30日のワシントン・ナショナルズ戦に中継ぎで登板し、メジャーデビューを果たした。マイナーリーグではおもに先発投手を務め、10勝4敗、防御率3.46の成績だった[6]。 楽天時代2015年12月20日、東北楽天ゴールデンイーグルスと契約合意したことが発表され、背番号は17に決まった[7]。2016年1月29日にラダメス・リズ、ジャフェット・アマダーと共に入団会見が行われた[8]。 4月14日に出場選手登録され[9]、同日の対千葉ロッテマリーンズ戦に来日初登板・初先発し、7回を投げ被安打7、奪三振5、与四死球4、7失点(自責点6)で敗戦投手になった[10][11]。5月14日の対ロッテ戦では1点リードの4回2死の場面に3番手で登板し、1/3回を投げ2失点(自責点1)で初ホールドを記録した(5回無死で降板)[12]。11月19日、2017年の契約を行わず退団が決まったことが球団から発表され[13]、12月2日付で自由契約選手となった[14]。 タイガース傘下時代2017年1月10日、デトロイト・タイガースとマイナー契約を結んだが、タイガース傘下のマイナーリーグチームでは1試合も登板しなかった。 ネクセン・第一次キウム時代2017年5月4日、不振により退団したショーン・オサリバンの代役として、韓国プロ野球のネクセン・ヒーローズ(2019年よりキウム・ヒーローズに改称)と契約し[15]、同年は10勝を記録した。 2018年は11勝、2019年は13勝を記録。 2020年は9勝と2ケタ勝利に届かず、同年限りでキウムとの契約を終えた[16]。 第一次・味全時代2020年12月26日、CPBLの味全ドラゴンズと契約したことが発表された[17]。2021年4月15日、2020年まで所属していたキウム・ヒーローズとの契約が発表されるも、契約の関係で4月まで味全の試合に出場した[18]。 第二次キウム時代2021年5月13日よりキウムに復帰した。キウムでは10試合に先発登板し、7勝3敗、防御率2.95の成績を残していたが、7月7日の試合を最後に妻の看病のためアメリカに帰国し、その後も再合流が難しいことから、9月4日に双方合意のもと任意脱退選手となり退団した[19]。 第二次・味全時代2022年1月5日、味全と契約し台湾球界に復帰した[20]。 選手としての特徴平均球速147km/hのフォーシーム、ツーシームが主体の速球派投手で、スライダーを最大の武器とする。他にはチェンジアップ、カーブも投げるが、投球頻度はかなり少ない。実質、速球2種とスライダーの3球種で勝負している[21]。 詳細情報年度別投手成績
表彰
記録
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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